ユニゾンのENSEMBlog

「人と組織のマネジメント」にユニークな価値を提供し続ける企業
「株式会社ユニゾン」
マネジメント研修を事業のドメインに据える
同社の社長とスタッフたち(ときどき)とで綴るブログです。
頻度はそこそこ、中身は真面目にがモットーです。

職場

四月バカ

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久しぶりに軽めの話を。

今日はエイプリルフール。
日本的(かつ古典的)に言えば“四月バカ”である。
私には、この日が来ると必ず思い出すことがある。

私が以前勤めていた会社は青山にあった。
芸能人を見かけることも珍しくはない土地柄である。

例年4月1日には、同僚の営業マンたちと口裏を合わせ、
次のようなウソを言っては、主に社歴1年未満の同僚たちを
引っかけるのが年中行事化していた。続きを読む

お酌に思う

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私たちは仕事柄?お客様企業の方々と懇親の場(酒宴)を共にする機会が少なくない。

多くの組織の方々とお酒を酌み交わしてみて実感するのは、
『酒宴にも、その組織の文化が現れる』ということだ。
その文化が最も顕著に現れるのが『お酌の風景』である。

私どもが垣間見た各社各様の『お酌の風景』を、乱暴ながらパターン化してみると、

(1)部下が上司にお酌する
(2)上司が部下にお酌する
(3)上司・部下ともお互いにお酌する
(4)まったくお酌し合わない

の4パターンに類型化できる。そして、それぞれのお酌パターンを観察することで、
その組織の上下間がどのような関係にあるのかを推し量ることができる。

これは一概には言えないものの、お酌をする側からされる側への
関心度(見せかけの関心も含め)の高さを示していると言って良い。

その意味で言えば、昨今(4)のパターンが増加しているのが少々気になる。
“フラットな雰囲気”で“フランクな飲みニケーション”でなければ、
職場で飲みに出かけることもままならない、という組織が増えているのかもしれない。

けれども、そのような(4)のパターンの酒宴を観察してみると、
気の合う2,3人の仲間たちだけで集まって盛り上がっていたり、
気がつけば上司が独り寂しそうに空になったグラスを見つめていたりする、
などいう場面にも遭遇する。

これではせっかくの飲みニケーションも、職場の一体感を高める場にはなり得まい。

今年も残すところ2ヶ月あまりとなった。これから年末にかけて、
職場内で飲みに出かける機会が増える方もいらっしゃるだろう。
その際には是非、お酌をしてみることをお勧めしたい。
特に、普段話すことが少ない人にお酌をすると良いだろう。

アフターファイブの酒宴も、仕事の延長と心得るべきだと私は思う。

電話に出ない職場

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最近、電話をかけても、
誰も電話に出ないという会社が増えている気がします。

電話をかけたこちらとしては、
『あれ?誰も出ない…。間違えてかけてしまったのかな?』
と心配になって、電話番号を確かめることもしばしば。
大半の場合は、私が間違い電話をかけたわけではありません。
単に先様の誰も、電話を取らなかっただけのようです。

会社の電話が鳴ったら、たとえそれが自分が所属する部署外の
電話であったとしても、すみやかに電話に出る。
私は、これが社会人の常識だと思っていました。
ところが昨今、私の常識は通用しなくなってきていると感じます。

気になって、色々な職場の方に話を聞いてみると、
電話を取らない職場が増えている背景には、
『他人のデスクで鳴っている電話は取らない』という価値観やルールが
徐々に職場に浸透しつつある、との見方ができそうです。

なぜ、そのような価値観やルールが生まれてきたのか?
この点については、様々な要因が考えられそうです。
それでも大きなところでは、『個人の“なわばり”は侵さない』
という“暗黙の了解”が、職場においても出来上がりつつある
という点を挙げることができるかもしれません。

例えば大組織であれば、
各人が担当する業務の専門性が高まっていることに加え、
個人の電話番号(ダイヤルイン)も設定されていることなどから、
 “○○さん宛の電話に出てしまうことで、
  (電話を受けた自分が)子どもの使い程度の対応しかできず、
  電話をかけてきて下さった方にかえっ手数をかけてしまう…”
などいう配慮?から電話を取らない、という方もいます。

また携帯電話の普及で、他人が管理している電話機に触るのはタブー、
というような社会通念が生まれてきているのかもしれません。

ともあれ、新人時代に「職場の電話が鳴ったらすぐ取る!」と
先輩社員から厳しく教えられ、他部署の電話であっても、
新人同士で競って取り合った経験が原点にある私などからすれば、
電話が鳴っても取らない職場は、やっぱり寂しく感じてしまいます。

声出しの効果

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某大手企業に勤めている友人の話。

その企業では組織活性化の一環として、課長職以上の管理職が持ち回りで、
毎朝出勤してくる社員たちに「おはようございます!」と大声で挨拶する
運動を実施しているらしい。

校門の前で登校してくる児童たちに声をかける学校の先生ではあるまいし、
「そんなことをして何か効果があるのか?」と懐疑的な社内の雰囲気も
あったようなのだが、これがなかなか侮れない効果があるそうだ。

つい先だってのこと、友人の上司にその挨拶当番が回ってきた。
この運動が始まった頃、極めて無口な友人の上司は、
「人前で大声を張り上げるなんて嫌だなぁ…」とつぶやいていたそうな。

とは言うものの、社命とあれば愚直に実践しようとする彼は当番の朝、
他の数名の管理職と一緒に「おはようございます!」としっかり大声を
張り上げて出勤してくる社員たちを迎えたそうだ。

朝の8時から小一時間ほどのお勤めを果たして戻ってきた彼は、
「いやぁ、朝から汗びっしょりだよ!」と驚くほどご機嫌な様子。
その日は、普段の彼からは想像できない饒舌な姿を部下たちに披露した。
以来、無口だったその上司が徐々に変わり始めているという。

普段、自分から部下に話しかけることなどなかった彼が、出勤するなり
大きな声で「おはようございます!」と挨拶をするようになったそうだ。
そんな彼につられて周囲も「おはようございます!」と返す。
たったそれだけのことなのに、随分と職場が明るく感じられるとのこと。

たかが声出しと侮るなかれ。

道徳的能力を育む組織文化

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公共の場での“マナーの低下”を嘆く人は多い。
けれども実際に他人のマナー違反に遭遇したとき、
その人に対して注意を促したり、自分が不快であることを告げたり
できる人は、まずいない。「見て見ぬふり」をする人が大半だろう。

これは、その場さえやり過ごしてしまえば、そのマナー違反者と今後
関わり合うことがないであろうという予測の元に“わざわざリスクを
冒してまで行動することではない”と判断するのが、世間一般の常識
であるから、と言ってしまって良いかもしれない。

ただ、これが同じ職場の仲間たちのマナー違反だったらどうだろう?

例えば、行く先も告げずに長時間席を外す、昼休みが終わっても戻らない、
会社の電話を使って私用電話をする、遅刻したにもかかわらず謝罪はおろか
報告もせずに席に着く、朝デスクについた途端に化粧を始める、会社の
備品を持ち帰る(これは明らかに犯罪です)…。

これらはいずれも、私たちが研修で実際に受講者の方から聞いたことが
ある上司、部下、同僚たちのマナー違反である。これらのマナー違反に
遭遇した大半の組織人は、相手が部下や後輩であれば叱る、上司であれば
クレームをつけるなど、何らかのアクションを起こす。これは前記した
論法に則れば、彼・彼女たちとは今後も無関係ではいられないからだ。

ところが驚いたことに、誰も何もアクションを起こさない職場もある。
嘆かわしいのは、その数が徐々に増えている気がすることである。

そんな職場で働いている方々に「なぜ注意しないのか?」と尋ねてみると、
「仕事の成果とは直接関係ないから…」とか、「子供じゃあるまいし…」
などのもっともらしい?答えが返ってくる。私がそんな答えに納得できずに
「マナー違反を間近に見ていて不快じゃないんですか?」と質問を重ねると
「別に気になりません…」などとのたまう管理職もいる。

言動などの振る舞いに現れるマナーは、その人のモラルが作るものである。
組織という人間集団の中で生きる以上、モラルは道徳的能力と言っても良い。
他人に迷惑をかけない、他人をイライラさせない、他人に気を遣わせないなど、
基本的な道徳的能力の欠如している人間が、ビジネスなどできるわけがない。
その状況をほったらかしにしている組織にも、未来などないだろう。

そのような組織では、どんな立派な制度や仕組みをつくることよりも、
お互いがもっと真剣に関わり合い、道徳的能力をレベルアップさせていく
組織文化をつくっていくことが急務だと思う。

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『不機嫌な職場』は不機嫌な自分から

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最近、『不機嫌な職場』なる言葉を頻繁に目にする。
同名の新書がベストセラーとなって以来、メディアで
取り上げられる機会が多くなっているのであろう。

この書籍や雑誌記事などを通読する限り、
その組織に属する多くの人が“うちの職場は雰囲気が悪い”と感じる、
そのような職場を『不機嫌な職場』と呼んでいるようだ。

この言葉の持つニュアンスに多くの組織人が共感を寄せているのだと
すれば、それだけ自分の職場を“雰囲気が悪い”と感じている人が
多いということになる。確かに、私たちが出会う少なからぬ組織でも、
この言葉に象徴される不健全な職場を抱えているように感じる。

このような職場が増えている原因を、職場のコミュニケーション不足に
求めるのはたやすい。またそのコミュニケーション不足が、ITへの依存や
業務量の激増、成果主義の浸透や非正規社員の増加、今どきの管理職や
若手社員の特性…などに起因するというメディアの論調もよくわかる。

ただ実際に複数の『不機嫌な職場』に所属する組織人たちと接すると、それらの
他律的な要因だけでは説明できない、ある共通の傾向があることに気づく。
それは、『不機嫌な職場』に属する人はおしなべて『不機嫌である』ということだ。

「不機嫌な職場にいるから不機嫌なのだ!」
そう言われてしまえば身も蓋もないのだが、誤解を恐れず言えば、
不機嫌な職場を嘆く多くの組織人からは、他律要因にまつわる不平や
不満しか聞こえてこないことが多い。

つまり、“このような職場になっているのは、『会社が』『上司が』
『仲間が』『部下が』〜してくれないからだ”という自分以外の誰かに
その原因を求めようとする姿勢が顕著に現れていると感じるのだ。

“希薄な人間関係の上に成り立っているもたれ合いの状態”に甘んじて、
現状を変えることを諦めて、現状を変えることに頭を使わなくなり、
ただただ感情的に満たされず、不機嫌な感情を持って職場に出てくる。
そのようなメンバーが増えれば、職場が不機嫌にならないわけなどない。

自分にとって不機嫌な職場を変えたいなら、まずは自分から。
粘り強く諦めずに、現状の問題と向き合う姿勢こそが肝要だと思う。
私自身、『ご機嫌な職場づくりはご機嫌な自分から』と肝に銘じている。

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逃げ心を排し、向い合う

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モラール・クリエイター12ヶ条

第10条『逃げ心を排し、向い合う』

よく思いやりとか、やさしさということが話題になる。

では、「真の思いやり」とか「やさしさ」とは
どんなことを言うのだろうか。

仲間がいい加減なことをしていても言わない。
少し気をつければ防ぐことができた仲間のケアレスミスも
最後まで見て見ぬふりをする。

これらは本当の思いやりと言えるのだろうか?

言うべきことをハッキリ言ってあげるのと、どうせ言っても
波風を立てるだけだし、と黙ってつき放すのと、どちらが
思いやりがあるのだろうか。

見せかけの善、見せかけの思いやり、見せかけのやさしさは、
仲間のためにはならない。

もし、そんな逃げ心の人が3人、5人と職場に増えていったら、
職場はどうなるだろうか?

見せかけの思いやり、見せかけのやさしさの人の心の底には、
間違いなく逃げ心があると言える。

つまり、面と向い合わない心である。

もう少し詳しく言うなら

1)話し合わない
2)核心にふれない
3)同情や理解しているふりをする
4)時間が解決してくれるという誤解
5)自覚の問題だと言ってつき放す

こんな心があるのではないだろうか。

もし会議で、いろいろ問題は多いのに誰も傷つかない、
誰も損しない、是も非もハッキリしないテーマや
結論ばかりになったら、一度考えてみてほしい。
逃げ心がなかっただろうか。

逃げ心に向い合い、社員が晴々とした気持ちで毎日仕事に
取り組める職場を是非作ってほしい。

モンスターペアレンツがやってくる

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「頼んでもいないのだから給食費は払わない!」
「鉄棒が苦手だから体育の授業は受けさせない!」
「ウチの子供の成績が低いのは納得できない!」

学校や教師に対して、このような理不尽と思えるような
クレームや要求を突きつける親たちが増えているらしい。
メディアでは彼らを「モンスターペアレンツ」と呼んでいる。

このモンスターペアレンツが職場にもやってきているようだ。
遅刻・欠勤の連絡を本人ではなく親が入れてくる、
帰りが遅いと親が会社まで迎えにくる、評価に納得がいかない・
上司がパワハラをはたらくと社長に対してクレームを入れる…
にわかには信じられないのだが、こんな話を聞く機会がある。

かような珍事が珍しくなくなってくるとしたらどうだろう?

“親が子に依存し、子が親に依存する”
儒教的な考えからすれば、真っ向から否定すべきものではないし、
程度の差こそあれ、現実にはどの家庭にも存在することであろう。

しかし、大人の親子がそのような関係を他人様にさらすことを
“恥ずかしい”とも思わない価値観はいかがなものか。
今後、企業は“自立的な人材育成”を図る前に、
“親から自立できる人材育成”に
取り組まなければならなくなるかもしれない。
ユニゾンの書籍


『はじめての管理職100問100答』

(株)ユニゾン 堤幸政/河村亜紀 著

明日香出版社

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