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現在、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビジョン)で、
テレビアニメ『科学忍者隊ガッチャマン』が再放映※されている。
(※月曜〜金曜19:00〜19:30)

ガッチャマンと言えば、我々世代(ちなみに私は 1967年生まれ)には
大変なじみが深く、思い入れも深いテレビアニメーションである。
当時(本放映は1972年〜1974年)もちろん子供だった私は、
ガッチャマンに登場する“かっこいい”メカやマシンに夢中だった。
その懐かしさもあって、番組を録画し最近時間がある際に見ているのだが…

大人になった今見ても、これがなかなかに面白い。

当時はまったく意識していなかったストーリーの背景、
すなわち、ガッチャマンをリーダーにいただく科学忍者隊が
石油に替わるエネルギーとして地球内部のマントルを活用する“エコな”
エネルギー政策“マントル計画”を推進しようとする(国際)科学技術庁の
手先?だったことや、彼らが敵と見なし戦い続ける“総統X”を首領とする
悪の軍団、“ギャラクター”(“がらくた”が語源か?)がマントル計画を
阻止し人類滅亡を画策していた、などいうことを今さらながらに確認して、
そのストーリー設定のリアリティさ?に感心させられたり、未成年であるはずの
ガッチャマンがオフタイムにバーを訪れ「今日の俺は“オケラ”だぜ」などと
現代の子供らには到底理解できないであろうセリフを吐いたりするのも、
誠にもって興味深い。

とりわけ私を惹きつけて止まないのが、ギャラクターの現場リーダー、
“ベルク・カッツェ”という悪役のキャラクター設定である。

この“ベルク・カッツェ”、とにかく酷い上司なのだ。
総統X(上司)の顔色ばかりをうかがい、部下の前では総統の“虎の威を借る狐”
ばりに威張り散らし、ガッチャマンたちをやっつけるためには部下の
犠牲などお構いなし、作戦の失敗は何のてらいもなく部下たちのせいにし、
挙げ句、部下たちを「この無能なクズどもが!」呼ばわりし、毎度毎度、
自分だけ前線から脱出、敵前逃亡を図る。このようなリーダーがいるだけで
“悪の軍団”の“悪”のリアリティがグッと上がる気がする。
“悪いリーダー”がいることこそ“悪の軍団”の条件だと思ってしまうのだ。

このカッツェのキャラクター、少し穿って考えてみれば、
当時このアニメを子供と一緒に見ていたであろうパパさんたちの共感をも
得ようとしたのではないか?という想像が浮かぶ。つまりその当時、
終身雇用が前提の企業社会では程度の差こそあれ、カッツェのような上司が
いたのでは?ということである。そんな上司の顔を思い浮かべながら
パパさんたちは、悪の軍団である“ギャラクター”という組織の滑稽さを、
苦笑しながら見ていたのではないだろうか。

時代は移ろい現代は、たとえ“悪の軍団”のリーダーと言えども、
カッツェのような上司はほとんどいるまい。自らが先頭に立って戦い、
部下に目線を合わせ、彼らの言い分に耳を傾ける。
そんなリーダーでなければ、組織として成り立たないであろうからだ。
けれども、そんな現代風リーダーが率いる“悪の軍団”は迫力がない。
さりとて“悪の軍団”も、組織として機能し続けていくためには、
マネジメントの進化・変革が不可欠だ。

そう考えると、仮にベルク・カッツェが実在していたとして、
当時のままのマネジメントスタイルで、今も“ギャラクター”が
生きながらえることができているかと言えば、それは甚だ疑問である。
カッツェがリーダーとして生き残るためには、自らのマネジメントスタイルを
大きく変えなければならなかったであろう。あるいは、総統Xに見限られ、
降格人事を甘んじて受け入れなければならなかったはずだ。
さもなくば“ギャラクター”は、文字通り“がらくた”と化したに違いない。