【PR】『はじめての管理職100問100答』こちらから購入できます!【PR】

私が営業を始めた頃、当時の所長から口酸っぱく言われたことがある。

「お客様に買ってもらうためには、
 “情のイエス”と“理のイエス”、
 双方のイエスをもらわなければダメだ!」

“情のイエス”とは、感情的に受け入れてもらうこと、
“理のイエス”とは、論理的に受け入れてもらうこと。

昨今は、“理のイエス”が大手を振って歩く時代である。
論理的であることが是とされる風潮が、著しいと感じるのだ。
我々の業界を見渡してみても、「ロジカル○○研修」と銘打った
論理的な香り?が漂う研修は、数年来の定番となっている感がある。

他方、“情のイエス”は旗色が悪い。
人を動かす情緒的な要因は、その正体が掴みづらい。
そのためか、昨今の多忙なビジネスパーソンの間においては、
他人から“情のイエス”をもらうための研究をするとか、
芸を磨くとか、そういうことに時間と労力を割く人は極めて少ない。

そのせいだろうか、最近、三度の飯より理屈が大好きな
ビジネスパーソンが身の回りに増えてはいないだろうか?

他人の感情などお構いなしに「どうだ!」とばかりに自説を語って、
得意顔になっている人はいないだろうか?

もちろん“理のイエス”を否定するわけではない。
私も理不尽なことよりは、理屈が通っていることの方が気持ち良いと感じる。
ただ、“人 対 人”のリアルなコミュニケーションにおいては、
まず“情のイエス”が欠かせないと思うのだ。

なんとなれば、同じ論理的な説得を受けたとしても、
「正論でもあなたの話は受け入れたくない」と感じる人もいれば、
「あなたの筋道が通った話は素晴らしい!」と感じる人もいるからだ。

自分のことを論理的だと思っている人がいれば、
ご自分が話している姿を、一度鏡に写して見てみてはいかがだろう。
ひょっとすると、そこには、いけ好かない嫌なヤツが映っているかも…