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今日の日経新聞(8/5付け朝刊、一部夕刊)に、
禁煙を採用条件に掲げる企業が増えているとの記事が掲載されていた。

喫煙者からすれば“これも時代の流れか…”との諦念を抱く一方で、
禁煙を義務づける理由を、この記事に掲載さているように

「社員の健康リスクを回避するため」とか、
「煙草を吸う人の生産性は吸わない人の生産性より劣るから」とか、
「部屋が汚れる」「ブランドイメージが下がる」「臭い」…などと

並べ立てられてしまうと、違和感を通り越して抵抗感すら覚えてしまう。

もちろん私も、煙草を吸う人は吸わない人の権利を最優先しなければ
ならないと思っている。これは時代の要請であるし、これからの喫煙者は、
今後ますます増えてくるであろう煙草を吸う人たちに課せられる規制
(社会通念上の規制も含め)を甘んじて受け入れる必要があると思う。

されど、煙草を即「悪」と決めつけてしまう風潮はいかがなものか。
この風潮が今以上に社会に浸透してしまったら、ステレオタイプに
「煙草の臭い=悪臭」「煙草を吸うヤツ=ダメなヤツ」という価値観が
多くの人々の中で固定化してしまうのではなかろうか。

世の中には、煙草の臭いが好きな人もいるだろうし、
ものすごく仕事ができるヘビースモーカーもいるはずだ。
そんな人たちの価値観を認められない狭量な社会にはなってほしくない。

私がこの話題に抵抗感を覚えるのは(煙草にかこつけた極論なのだが)、
健康な人、綺麗な人、臭わない人が“良い人”で、
不健康な人、汚い人、臭い人は“悪い人”である、
という浅はかな人間観が今以上に跋扈することを恐れるからである。

果たして、流行りのダイバーシティとやらは喫煙者をも救うのだろうか?