皆さんは、ご自分の上司に親密感をもっているだろうか?

仕事は業績という組織の共通目標を達成する行為であるからして、
上司に対して人間的な親密感を持つ必要などない、とおっしゃる向きもあろう。
無論、上司と部下の関係は家族や友人、恋人との関係とは異なる。
お互いの責任を果たすことで成立する契約関係と換言してもいいかもしれない。
ドライに契約を履行しさえすれば問題は起きないはずである。

ところが、現実にはそう簡単に割り切れないのが両者の関係である。

企業の業績目標は常に右肩上がりに上がっていく。
上司は、常に部下に対してより高い目標に挑戦させる必要がある。
部下も、より高い目標をクリアしていかなければならないことを頭では理解している。
理解しているにもかかわらず、
負荷がかかることに抵抗感を持ってしまうのが素直な感情ではなかろうか。
そして、その抵抗感は直接の上司に向かっていくことが多い。

極論してしまえば、上司が自分の責任を果たそうとすればするほど部下に疎まれる。
上司とは、煙たがられることを引き受けたような因果な役回りなのである。

しかし最近の職場では、煙たがられない上司も相当数いるらしい。
「上司と部下がうわべだけの人間関係しか築かない。
 部下に遠慮をして踏み込んでいかない上司が見受けられる。」
管理職研修の企画段階で、このようなお話をお客様から伺う機会が増えている。

好意的に解釈すれば、
部下と目線を合わせ、部下の心情に配慮した言動を心がけているのかもしれない。
これは奨励されるべき姿勢ではあるが、
あくまでも業績目標を達成する至上命題に応えることを前提にすべきことである。

また昨今では、上司がプレイングマネージャーであることも多い。
上司も部下も多忙なことに加え、メールでのコミュニケーションが浸透したため、
一日の間、両者が面と向かって対話をする機会がほとんどない、
という職場もあるほどだ。

穿った見方をすれば、
多忙さにかこつけた上司が部下に煙たがられることを避けているとは言えないだろうか。

さて、ここで冒頭の質問である。
私たちは、上司と部下との関係の土壌となるのが親密感であると考えている。
ここで言う親密感とは、馴れ合いの関係がもたらす親密感ではない。
上司が部下に対して負荷をかけることができるホットな土壌のことである。
この土壌があって初めて、
部下が、好感を持たれている、期待されている、信頼されていると感じることができ、
この上司が言うのなら、やってみよう!、やるしかない!
と決意させることができるのである。

そして、親密感をはぐくむのに近道は存在しない。
一握りのカリスマ的な素養を持つリーダーでもない限り、
極めて地道な方法しかないのである。

言いにくいこと、たとえそれが些細なことで煙たがられることがわかっていても、
上司が勇気を持って部下と対話をすることである。

対話は全てのリーダーシップにおける最高の良薬なのである。