私は幼い頃、平らな道でも転んでしまうような子どもでした。
両親から「どうしてこんな所で転ぶかね」と頻繁に言われていた記憶があります。
さすがに今では、転倒するような転び方は滅多にしませんが。

しかし、大人になったから転ばない、ということではないようです。
こと仕事においては、まさかこんな所で!という状況で転ぶことがあります。

仕事の上で転ぶというのは、もちろん物理的に転倒するわけではありません。
予期していないネガティブな出来事に遭遇して、
立ち直るためにパワーを要する心理状態に陥ることを指しています。

私の経験においては、大いに期待していた案件をロストしてしまった時や、
手塩にかけていた部下が突然辞めると言い出した時などに、
まさしく“転んだ”と感じる心理状態になりました。

身近な所でも、人間関係がうまくいっていない、意に添わない転勤や異動を命じられた、
希望を持って転職した新天地が想像とかけ離れていた、などの場面に遭遇して
“転んでいる”心理状態にある同輩を見受けることがしばしばあります。

そう考えると、仕事の上で転ぶのはよくあることだと言えそうです。
よく転ぶのであれば「どう起き上がるのか」が重要になってきます。

転んだときの起き上がり方にこそ、ビジネスマンとしての成長の鍵があるのではないか?
私はそう考えています。

では、転んだときにどうすればよいのか。
やはり、その道の達人にヒントを求めるのが良いのではないでしょうか。
私の身の回りにも、起き上がり方が上手い人がいます。
そして、そのような起き上がりの達人には、
その意識においていくつかの共通点があるように感じます。

まず、「思い通りになることは少ないと認識している点」が挙げられそうです。

これは、物事に立ち向かう前から諦観を持っている、との意味ではありません。
物事に立ち向かうには、やり遂げようという強烈な意志を持つ必要があります。
しかし、それでも転んでしまうことはあるのです。
肝心なのはその時に、茫然自失して思考停止状態になるのか、
それとも、自分が転んだということを潔く認めて次のステップ(起き上がること)に
意識を持っていくことができるかどうか、にかかっています。

達人の多くは転んでしまったとき、
意外なほどあっさりとそれまでのこだわりを捨てることができます。
転んだことを素直に受け入れられるベースには、
爽やかな達観とでも言うべき意識があるようです。

次に、「転んだ現実をプラスに捉える陽転思考を持っている点」があります。

不測の事態に遭遇した時、
大方の人は「まさか!こんなはずではなかった!」と頭を抱え込むでしょう。
しかし彼らは、そんな状況すら楽しんでいるかのように振る舞うことができます。
おそらく彼らも、傍目には見えないところで落ち込むことはあるのでしょう。
それでもマイナスをプラスに転じようと意識することで、
くよくよ思い悩む時間を短くしているのだと思うのです。

そして、その意識は、
自分をもっと成長させたい、という飽くなき欲求が支えているのだろうと思われます。

さらに、「なぜ転んだのか?自分を軸に分析しようとしている点」も共通しています。

転んだときに厄介なのは、
往々にして、その原因を自分以外の他律要因に求めてしまいがちになることです。
つまり、自分で蹴躓いて転んだと認識するよりも、
何かに突き飛ばされて転んだと認識する傾向があるのです。
転んだとき誰しも、自分は悪くない、と少なからず思うでしょう。

けれども、起き上がりの達人は、
転んだ原因を冷静に分析しつつも他律要因にはこだわりません。
自分でコントロールできる自律要因を見つけ出し、
そこに手を打つことから起き上がりを始めているように見受けられます。

このように見ていくと、起き上がりの達人を特徴づける共通点は、
いずれも意識系統のスキルとでも呼ぶべきものです。
それゆえ、これらのスキルを一朝一夕に身につけるのは至難の業と言ってよいでしょう。

以前、私は「どうしたらうまく立ち直れるのか?」、
達人の一人に尋ねたことがあります。

その方は、
「それはね、堤さん、とにかくたくさん転ぶことだよ。
 そして、起き上がるときには笑っていなさいよ。
 命まで取られることはないんだから」
と憎らしくなるほどの爽やかな笑顔でおっしゃいました。

挑戦すること、笑顔でいること、タフであること。
私はそのように解釈しています。
意識系統のスキルを体得するのにショートカットは存在しません。

そのスキルは、転んだとき、無理矢理にでも笑顔を作って、
「なにくそ!」と起き上がろうとする人に宿るもののようです。