電車の中での出来事。幼い少女が鼻をクンクンさせながら、母親に
「お母さん、見て。見て。なんか臭いよ。」
お母さんは、娘の方を見る訳でもなく、同じように鼻をクンクン。
前に座っている私は頭の上に“?”が吹き出した…「見て?」。
少し二人の様子をうかがっているうちに、なんとなく理解した。
幼い彼女は「臭う」や「嗅ぐ」という語彙を持ち合わせてなかったのだろう。
持っている語彙を駆使し、「見る」という言葉で“感覚器を使う行為”を
表現したのだ。
私たちは理論や経験で、人間は五感で感じ、その中でも視覚からの情報が
多くの割合を占めることを知っている。
アインシュタインは「想像力は知識よりも重要だ」という言葉を残した。
子どもは想像力の塊のようなもの。まさしく、知識を超えると感じた。
また、母親は何を表現しているのかを瞬時に理解した。
母の“娘のメッセージを受け取りたい”という愛情と、娘の“母に伝えたい”
という気持ちの強さは、あらゆるコミュニケーション手段を超越する。
私は、確かに何かが臭う車内で、親子に釘付けになっていた。
「お母さん、見て。見て。なんか臭いよ。」
お母さんは、娘の方を見る訳でもなく、同じように鼻をクンクン。
前に座っている私は頭の上に“?”が吹き出した…「見て?」。
少し二人の様子をうかがっているうちに、なんとなく理解した。
幼い彼女は「臭う」や「嗅ぐ」という語彙を持ち合わせてなかったのだろう。
持っている語彙を駆使し、「見る」という言葉で“感覚器を使う行為”を
表現したのだ。
私たちは理論や経験で、人間は五感で感じ、その中でも視覚からの情報が
多くの割合を占めることを知っている。
アインシュタインは「想像力は知識よりも重要だ」という言葉を残した。
子どもは想像力の塊のようなもの。まさしく、知識を超えると感じた。
また、母親は何を表現しているのかを瞬時に理解した。
母の“娘のメッセージを受け取りたい”という愛情と、娘の“母に伝えたい”
という気持ちの強さは、あらゆるコミュニケーション手段を超越する。
私は、確かに何かが臭う車内で、親子に釘付けになっていた。