ユニゾンTOPICS Vol.13(4/3配信予定です)掲載記事
「温故知新:道歌に学ぶ『生き方』」の続き(メルマガ未掲載箇所)を
ご紹介いたします。

ちなみに、道歌とは「仏教・心学などの教えをわかりやすく詠み込んだ和歌」
(明鏡国語辞典)のこと。
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道歌では、

●手を打てば鯉は餌と聞き鳥は逃げ
         女中は茶と聞く猿沢池
とさらりと詠みあげるのである。
世の中そんなにいいことばかりはないよ、苦労を覚悟で生きていかなければ、
なんて言うと随分お説教になってしまうが、

●一生は旅の山路と思うべし
         平地すこし峠たくさん
で充分である。
なぜ苦労が絶えないのか。それは世の中が間違っているから、と言ってみても、
解決の糸口にはならない。

●まっすぐにゆけば迷わぬ人の道
         横すじかいにゆきて尋ねぬる
まともなことを、まともにやっていれば迷いも悩みも出てはこないが、
人間はなかなかそうはいかない。なぜかと言えば、人間には欲があるから。

●欲深き人の心と降る雪は
         積もるにつけて道を忘るる
●恐るべし欲の焔の激しくて
         我身も家も人も焼くなり
ということになりかねない。欲求は、やる気のエネルギーである。
悪いことでは決してない。ただ、あまりに欲深いのは困りますよ、ということだろう。
しかし凡人とて、その程度のことはわかってはいる。ただちょっと弱いだけである。
            
●世の中は色と酒とが敵(かたき)なり
  どふぞ敵にめぐりあいたい
わかってはいるが、やっぱり「〜したい」。
うまくやっている奴だっているではないか。

●何時の世も世間知らずの義理知らず
         情け知らずが金持ちとなる
身近にこのようなケースを見ると、
やっぱり世の中不条理な奴がいい思いをするものだ、ということにもなりかねない。
そこで、まっとうなものの見方や考え方ができるような教育が必要となるわけであろう。

●朝夕に手足も顔も洗うなら
         心の垢もすすぐべきなり    
これは100%正しい忠告である。従って、そう簡単にできるわけがない。
まずは学び、鍛錬することが肝心である。
そのためには、知ったかぶりをしないことである。

●知らぬ道 知った顔して迷うより
         聞いていくのが真の近道
このためには謙虚さ、素直さがなくてはならない。
習う場合は次のような歌も参考になる。

●習いつつ見てこそ習え習はずに
       よしあしいふは愚かなりけり
●稽古とは一より習い十を知り
         十より帰るもとのその一
前者は新人に徹底したいことであり、後者はベテランが特に留意したいことでもある。
継続は力なり、とよく言われるが、途中であきらめたり投げ出してはいけない。
道歌は次のように忠告している。

●井を掘りていま一尺で出る水を
         掘らずに出ずという人ぞ憂き
さて、学ぶ立場ではなく、教える立場ではどうか。具体的な方法論を2つ。

●可愛ゆくば二つ叱って三つ褒め
         五つ教えてよき人にせよ
●目で見せて耳で聞かせてして見せて
         やらせて褒めにゃ事ならぬなり
山本五十六の有名な言葉「して見せて、言って聞かせて…」
よりはずっと昔から詠まれていたわけである。
教育の目的は、生きる力をつけさせることではあるが、それだけではない。
それだけでは極楽へは行けない。

●金欲しや地獄の沙汰も金しだい
           金で行けぬは極楽の道
である。もうひとつの大切なことは、人の心である。
自分一人の力で生きているわけではないのである。
 
●鯉は瀬に住む鳥は木に宿る
           人は情けの陰に住む
このへんが本当に理解できるようになるには、
年を積み重ねなければならないようである。
さて、このように学んできても、人生はやはり「峠たくさん」である。
そのような場合は、今日の苦労は今日一日にて足れり、
という聖書でも教えている心構えが欲しい。

●世の中の憂きも辛きも今日ばかり
    昨日は過ぎつ明日は知られず
そして、ストレスを跳ね返すだけの自然体になれるかどうか。

●茶の湯とはただ茶を沸かし茶を立てて
           飲むばかりなることと知るべし
余計なことは考えず、その時、その場を精一杯生きることであろう。
いやぁ、そんな難しいことを言われても、とおっしゃる方へ最後に。
     
●暁の社(やしろ)に欲を祈るより
酒を楽しみそしてはたらけ