ライブドア強制捜査の報道を見ていて、
先日ご紹介した「カラダ発想術」の中にあった
「個齢と種齢」の話を思い出しました。

一部引用、要約すると、

”その人個人の年齢が「個齢」で、人間の種としての年齢が「種齢」。
 この考え方だと、自分よりも若い人達は「種齢」からすると年上。

 知識や経験、歴史や文化、習慣などは「個齢」の年長者、
 ムードや雰囲気、感情や感覚というようなものは「種齢」の年長者に
 それぞれ一日の長がある。それぞれ教え教えられるのが理想だよね。

 だから、飲み会の席では部下や後輩にどんどんお酌しなさい”

そのように、くらた・まなぶさんはおっしゃていました。
なぜ、この話を思い出したのか。

今回の件がこれほどまで騒がれるのは、
「訳のわからんビジネスで、ワシらのシマを荒らすとはけしからん!」とか
「若造のくせに自家用ジェット機なぞに乗りおって。生意気な!」など、
彼らが「個齢的に若い」ことに起因した理由があるからではないか?
と勘ぐってしまったからです。

もちろん報道されているとおり、不正があったならば正されるべきです。
ただ、不穏当な発言をお許しいただけるなら、

「似たようなことは、他にもあるんじゃない?
 ところで、官製談合の話はどうなったのよ?」

とも言いたくなってしまいました。

ひょっとすると今回の騒動は、
既得権益を固守しようとする「個齢の年長者」や、
意趣返しの機会を狙っていた面々が
感情的な底意を持って企てたはかりごとなのではないか?
と穿った見方もしたくなります。

「生意気な若造は徹底的に叩いておかなければならない」
組織においても、かような心的傾向を持つ御仁を見かけることがあります。

若者が台頭してくる時、それを
猿山の権力闘争で終わらせてしまうのか、新しい力を組織の力と出来るのか、
「個齢の年長者」の器が試されるのかもしれません。