本年最後の配信となる「ユニゾンTOPICS Vol.7」より
「温故知新:弾むやる気と耐えるやる気」の全文を掲載いたします。

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人をやる気にさせる「動機づけ」の仕方については、様々な理論がある。
例えば、衛生要因理論もそのひとつである。
ハーズバーグは、人をやる気にさせ満足を与える要因(動機づけ要因)として、
仕事のやり甲斐、認められること、達成感等を挙げている。
仕事に直接関係のある要因がその中心となっている。

他方、条件が整ってもあまりやる気には結びつかないが、
欠如すると不満の原因になるもの(衛生要因)として、
待遇、職場の人間関係(特に上下関係)、経営のやり方等を指摘している。
仕事そのものというより、仕事の環境に関わる要因が多い。

実際、経営の現場に当てはめてみても、思い当たる節も少なくない。
給料等の待遇を良くすればやる気も高まるだろうという思いで、
思い切って給与体系を改め待遇改善を図ってみる。
しばらくは弾んだかに見えるが、やがて以前と同じような状態に戻ってしまう。
社員に聞いてみると、
「やめたいとは思っているが、給料が悪くないのでしばらく我慢しているだけ」
という答が返ってくることもある。

ハーズバーグの理論は単なる動機づけの要因を指摘するだけでなく、
不満要因を分けて考えているところに特徴がある。
それ故により現場的であるかも知れない。

それに反して、多くの動機づけ理論は、「やる気」を一面的に
見過ぎているのではないだろうか。つまり、如何にやる気を引き出すか、
弾みをつけるかという面に力点がおかれているように思える。

弾むやる気はもちろん重要である。しかし、現実にはそのようなやる気が少なくても、
経営は何とか維持できている企業も少なくないのである。

「やる気」の定義はさておいても、心が弾むものだけがやる気ではなく、
我慢したり、耐えて一生懸命取り組むのも、もうひとつの「やる気」と
考えるのが現場的ではないだろうか。

明日の納期に間に合わせるために、歯を食いしばって徹夜する。あるいは、
高熱のため休みたいところだが、重要な会議があるため無理してでも出社する。
こういう状況では心は全然弾んでいない。ただ耐えるだけである。

上下関係が上手くいかない、仕事が面白くないとかで、耐える事ができず、
すぐ退職する者もいる。だが多くの人達は結構耐えているのである。
耐えることが美徳とは言えないが、厳しいビジネス社会ではやはり必要なことではある。

弾むやる気ばかり求めて、耐えるやる気を持ち合わせてない人達の対応に
頭を痛めるマネジャーも少なくないはずである。ところが、耐えるやる気についての
研究理論には、まだ遭遇したことがない(筆者の浅学のためか?)。

弾むやる気と耐えるやる気の相違点を整理するとおおよそ次のようになる。
弾むやる気は、使命感、達成感、やり甲斐、といった心的充実が核になる。
それ故、将来展望が絵になるようなビジョンを明確にし、
自己統制(自分の仕事は自分の意志でやれる)のできる仕組みづくりが必要となる。

他方、耐えるやる気は、義務感や責任感といった心的緊張感が核になる。
それ故、組織のルール、仕事の意義、本人の立場と周囲への影響といったことを
充分にわからせる指導が必要となる。
そして「耐えることを鍛える」ことをおろそかにしてはならない。
特に若者の中には耐える鍛練を経験していない人達もかなりいる。

マズローの欲求階層説に関連づければ、
弾むやる気は、自己実現の欲求と自尊の欲求を満たすものである。
耐えるやる気は、社会的欲求、安全の欲求、生理的欲求という、
どちらかというと低次の欲求に焦点が合わされている。

従って、低次の欲求が強い人は耐えるやる気は比較的強いといえよう。
反面、高次の欲求の強い人は、弾むやる気に乗りやすくなるが、
耐えるやる気のもち合わせが少なく、面白くないことがあると挫折しやすくなる。

弾むやる気は、知的生産性を高める源になり、自己成長のバネである。
自分で考え、課題を見つけ、自分なりに創意工夫して挑戦する仕事の進め方は
弾み心がなくてはできないことである。そして、このような仕事の取組み姿勢が
自分自身の成長を一方で促していくのである。ただ、弾むやる気重視の人は、
日常の地道な努力をおろそかにし、足元を崩してしまう危険性をもっているようである。

一方、耐えるやる気は、作業的生産性を維持する源になるようである。
時々、耳にする言葉「ウチの社員は真面目で素直な者が多い」、
という企業は現状維持力はあるが発展力に欠けている面が強い。経営の基盤は、
まず現状維持力によって支えられているわけだから耐えるやる気は重要である。
しかも、素直で真面目な集団といわれるような場合は、
無理して耐えているという意識はあまりない。
こういう状態が日常的な良さなのであろう。

昨今、クローズアップされている中高年のリストラの問題も、
この両方のやる気には関係しているように思う。
つまり、一部の存在価値を失った中高年は、弾むやる気を失っているのではないか。
20年、30年と持ち続けてきた、耐えるやる気だけで今を乗り越えようとしているのではないか。

自分の給与に見合う知的生産があげられなくなれば、その立場も危うくなるのは当然である。
弾むやる気を会社が引き出してくれないのが悪いと言って泣き言を並べるのはみっともない。
キャリアの短い若者とは違うのである。
自分の弾み心は自分で創り出すぐらいの気構えが欲しいものである。

いずれにしても、やる気論は両面から捉えておくことが賢明であろう。
願わくば、弾むやる気でいつも満ち満ちていたいものである。
しかし、厳しい現実に直面すると弾み心も消え失せる時がある。
そのような時には、心のスイッチを切り換えて、耐えるやる気をふつふつと起こさねばならない。
「冬来たりなば春遠からじ」である。やがて弾む時が来る。

一流の人材は、いつも両方のやる気によって支えられているようだ。
それに比べ、三流の人材はいずれか一方だけに偏っているか、
その両方とも失くしているようである。
一流を目指したいものである。