「頭の良い人」や「頭が良いということはどういうことか」
について考えているシリーズ投稿の第四弾です。
今回は、考えることの重要性に改めて気づいたエピソードを紹介します。

昨日、あるお客様からこんな話を聞きました。
「堤さん、ブログに頭の良い人に関して書いてるけど、
 僕は頭の良い人には直観力が備わっている、と思う。
 直観力と言うと、生まれつきみたいな響きがあるけど、
 それは一握りの天才だけ。とことん考え抜く癖を
 つけることで鍛えられ、備わると思うんだよね」

その方曰く「勘」のようなものでも鍛えようがある。
脳が大汗を流すぐらい考え抜いて、それでも考えることを諦めない。
そのプロセスが直観や勘を磨くトレーニングになるんだ!との
ちょっと怖いけれども興味深いお話。

似て非なる話なのですが、
その数時間後、居酒屋で同僚と仕事の話をしていました。
二ヶ月ほど結論が出せずにいた課題に、突然解決の糸口が見つかったのです。
何の前触れもなしに「ひらめいた」と表現するのが近い。

どれだけ考えたか?と問われると、まだまだ足りないかもしれない。
それでも、思い悩み、逡巡し、常に考えていたことは事実。
「さっきのお客様の話は、こんなことを言うのかもしれない」
タイムリーな出来事に遭遇したようで、妙に納得してしまいました。

「下手の考え休むに似たり」ということわざがあります。
非常に便利な言葉です。考える苦しみからの逃げ口上として、
私は自分を慰めるために多用していましたが、今日から封印です。
もっともっと考え抜こう!と思いを新たにしました。