ユニゾンのENSEMBlog

「人と組織のマネジメント」にユニークな価値を提供し続ける企業
「株式会社ユニゾン」
マネジメント研修を事業のドメインに据える
同社の社長とスタッフたち(ときどき)とで綴るブログです。
頻度はそこそこ、中身は真面目にがモットーです。

2009年03月

私の1冊 日本の100冊

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昨年秋から、NHKのBSを中心に放映されていた
『私の1冊 日本の100冊』という10分間の番組がある。

各界で活躍する著名人が大切にしている1冊を紹介する番組で、
先日(3/27)放映された、女優・吉永小百合さんの1冊をもって、
紹介した書籍がついに100冊目を迎えた。

私はこの番組を毎回とても楽しみにしていた。

登場する著名人たちは、思い入れたっぷりに自分の1冊を語る。
番組中に1冊を一部紹介する朗読陣も素晴らしい。

私はこの番組に影響されて、今まで読んだことのない本や、
食わず嫌いで手に取ったことのない本を何冊か購入してしまった。
ここ最近、私の読書のコンシェルジュ的な番組でもあったのだ。

しかし、とうとう『日本の100冊』を紹介しきってしまった。
“番組編成のこの時期、お気に入りの番組が終わってしまうなぁ…”
と大変残念に思っていた矢先、嬉しいニュースがあった。

この番組、4月から隔週土曜の深夜に総合テレビで再放送される。

私がこの番組に気づいたのは、実は年が明けてから。
既に50冊程度を紹介し終えた時点だった。
途中見逃してしまった回も何回かある。

4月からの再放送では、全回じっくり楽しもうと思っている。

桜切るばか、梅切らぬばか

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『桜切るばか、梅切らぬばか』という言葉がある。

“桜は剪定しない方が、梅は剪定した方が良く育つ”
という先人たちの教えである。

私たちの業界では、この言葉を“部下育成”にたとえることがある。

すなわち、上位者はそれぞれの部下のタイプをしっかりと見極めて、
その部下に合った育て方を試行してみる必要がある、ということだ。

一口に部下と言っても、頻繁に褒めることで伸びる部下もいれば、
叱ることで伸びる部下もいる。手取り足取りで育つ部下もいれば、
放任することで育つ部下もいる。部下育成のやり方は一つではない。

ところが、昨今は“ハウツー至上主義”とでも言えば良いだろうか、
“部下育成”という複雑性・多様性に富む人間の成長を扱うテーマに
おいてすら“こうすればこうなる”的な答えを求める人が多いのが、
気になるところである。

そして、この傾向が見受けられるのは“部下育成”に限らない。
上司や同僚との付き合いも然り、顧客との付き合いも然り、
家族や友人ともまた然り。我々は“人付き合い全般”に、
ハウツーを求めすぎているのではないだろうか?と感じている。

物事の枝葉末節にとらわれて本質を見失うことを
“木を見て森を見ず”と言うが、こと人付き合いに関しては、
“森を見て木を見ず”つまり“一般論や抽象論頼みで個人を顧みない”
というような価値観を持った御仁が増えている気がしてならないのだ。

ところで、『桜切るばか、梅切らぬばか』は必ずしも当たらない
ということが、3/28付け日経新聞一面のコラムで紹介されていた。

なんでも、日本最古のソメイヨシノがある弘前公園の担当者によれば、
「桜も枝を切って手入れすれば延命できる」とのことらしい。

世の中、ステレオタイプのハウツーが通用することばかりではない。

本当の聴き上手

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勉強好きなビジネスパーソンは少なくない。

そんな彼らに根強い人気があるのが、『話す・聴く』といった
コミュニケーションにまつわるスキルやハウツーだ。

中でも人の話を聴くスキル『傾聴術』は、昨今の定番と呼んでも良い。
この『傾聴術』は、例えば…

“人の話を聴いているという姿勢を示す方法”
“相手が気持ちよく話してくれるための質問方法”
“相手の話を否定せずにこちらの意思を伝える方法”

などというような“テクニック”という形で紹介されることが多い。

もちろん、私たちはこれらのテクニックを否定するものではない。
これら『傾聴術』に関するテクニックは、私たちの研修においても、
ふんだんに紹介することがあるからだ。

けれども、これらのテクニックを身につけたからといって、
必ずしもその人が“聴き上手”になるというわけではない。
それは、テクニックという枝葉末節にとらわれてしまって、
“聴くことの本質”を見失っているような人が、多くの場面で
見受けられることからもわかる。

ビジネスパーソンにとって、相手の話を“聴くことの本質”は、
良い相づちを打つことでも、良い質問をすることでもない。

それ(聴くことの本質)は、相手が自分に話してくれたことから、
相手が自分に対して望んでいること(思いや欲求)を斟酌して、
それを満たすべく相手の見える形(行動)で返すことである。

ビジネスパーソン同士の対話は茶飲み話ではない。
お互い、その場限りの楽しい話し相手を求めている訳ではないのである。
いくら気持ちの良い対話ができたからと言って、
その後の行動に繋がらないような対話は時間の無駄にしかならない。

本当の“聴き上手”を目指すのであれば、テクニックは二の次で良い。
まずは相手が何を望んでいるのか、全神経を集中して感じ取り、
一つでも相手の望みを叶えるような行動を起こすことを心がけるべきだ。

テクニックだけの聴き上手では、単なる軽いヤツで終わってしまうだろう。

使命という風が吹いたときに…

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NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀(3/10放映)』で、
北九州を中心にホームレスを支援する活動をしているNPOの代表、
奥田知志さんが「プロフェッショナルとは?」という問いに対して、
次のように答えていた。

「 使命という風が吹いたときに、
 それに身を委ねることができる人だと思います。
 そして、そのときに、自分の思いとか考えとか、都合とか、
 好き嫌いというものをやっぱり一部断念することができる人。
 それがプロだというふうに考えてます。」


「今の仕事が自分の使命だ!」
と言い切れる人はどれ程いるのだろう。

「今の仕事は私のやりたい仕事とは違う…」
と漠然とした不満を抱きながら、いつも『自分に合う仕事』を
探している人の方が多いのではなかろうか。

けれども、奥田さんが語ったこの言葉を噛みしめてみると、
その人の使命などというものは、風に乗って既に多くの人の元に
運ばれているのではないか、とも思えるようになる。
人はそのことに気づかずにいるだけなのではなかろうか…と。

そうだとするならば、なにゆえ人はそのことに気づかないのか。
私は、奥田さんの言葉の後段にその理由が隠れているように思う。

奥田さんは、その人の使命が風に吹かれて運ばれてきたら、
自分自身のエゴを一部断念する必要がある、と語っておられたが、
実は、これは逆説的にそうおっしゃったのではないだろうか。

つまり多くの人は、自分の思いとか考えとか、都合とか、好き嫌い
というものが邪魔をしてしまい、自らの使命を受け入れようとしない。
ここが気にくわない、あそこが自分に合わない、損得勘定が合わない…
などと様々な理由を見つけては、懸命に向き合うことを避けようとする。

奥田さんは「違うんだ」と言いたかったのかもしれない。
「あなたに与えられている今の仕事があなたの使命なんだよ!」
そう言いたかったのかもしれない、と私は思ったのだ。

番組で紹介されていたホームレスの支援という彼の仕事は、
まさに使命感なくしては到底務まらないであろうという厳しいものだった。
きっと、彼は彼の使命と向き合って、それを受け入れたのだろう。

使命という風は、自らが覚悟を決めたときに吹いてくる。
その風を、受動的にではなく能動的、かつ積極的に受け入れて、
その使命と格闘している人は、− その人のことをプロフェッショナルと
呼ぼうが呼ばまいが − 間違いなく人の心を打つ仕事をするのだろう。

春闘

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大手企業の春闘がほぼ終了した。
自動車・電機業界などの日本を代表する大手企業の春闘は、
各社の労働組合にとって、非常に厳しい結果となったようだ。

ところで、私は春闘にまったく縁なく過ごしてきている。
と言うのも、私は労働組合のある会社に勤めたことがないからだ。
だからであろうか、私はこの時期、各メディアが報ずる
“春闘”のニュースを見聞きしていても今ひとつピンと来ない。

これには、私が組合活動未経験者であるからという要因の他に、
春闘では我々が普段使わない馴染みの薄い言葉が頻繁に使われている
ということにも所以がありそうに思う。

例えば、“ベア”“定昇”“一時金”といった言葉。
これらの意味をキチンと説明できる人はどの程度いるのだろう。
そう考えて、“春闘用語”を少し調べてみた。
(そもそも“春闘”とは“春季生活闘争”の略語であるらしい)

“ベア”とは“ベースアップ”の略語で、
給与の基本給部分(ベース)を昇給させることを意味する。

そして“定昇”は“定期昇給”の略。

日本企業の賃金体系は、長く年功序列がベースとなっていた。
極端な話、何ら成果を上げなくとも年次が上がれば自然に給与も上がる
という賃金体系を採用している企業が多かった。現在では、極端に
年功序列的な賃金体系を採用している企業は減ってはいるものの、
それでも定昇を実施している企業は少なくない。

また“一時金”とは“賞与(ボーナス)”のことである。

なにゆえ“賞与(ボーナス)”と呼ばないのか不思議に思うが、
これは労働組合側と経営側との見解の違いからくるのだそうだ。
労働組合は賞与(ボーナス)を給与(賃金)の一部と捉え、
経営は賞与(ボーナス)を利益の分配金であると捉えるので、
かような呼び名の違いになるらしい。

今回の春闘では、“ベア”も“定昇”もゼロ回答、
“一時金”も業績連動方式で妥結した労働組合が多かったと聞く。

私がまだ小さい頃には、色々な会社の“ストライキ”があった。
鉄道やバスがストップしてしまったことも記憶に少なくない。
当時は、各社の春闘も活気に満ちていたのだろう。

時代は流れ、経営環境も労働者の価値観も大きく変わった。
昨今では、ストのニュースが流れることも滅多にない。
“春季生活闘争”は、この先どこに向かうのだろうか。

やっぱり新聞くらいは読まないと

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「最近の若手は新聞すら読まないんですよ…」

企業の人事担当者やマネージャー方と話をしていると、
こんな話が出てくることがある。この手の話が出てくるのは、
おおかたの場合、若手の勉強不足を嘆いてのことである。

新聞を読まないから勉強が足りないと断じるのは、
少々短絡に過ぎる観が否めないものの、私個人の意見としても、
少なくとも外部の人と接する仕事をしているビジネスパーソン方、
特に営業マン方は、やはり新聞くらいは読んでいてほしいと思う。

前記の人事担当者やマネージャー方によると、
昨今の若手社員に「なぜ、新聞を読まないのか?」と尋ねると、
「必要な情報はネットを通じて手に入れることができるから」
との答えが返ってくることが多いそうだ。

確かにインターネット環境があれば、
必要な情報を必要な時に、簡単に手に入れることができる。
ネットで検索することに比べれば、新聞を読むという行為は、
自分にとって有用かどうかもわからない情報を探すようなもの。

しかも、指先をインクで汚しながら扱いづらい大きな紙の束を
めくりめくりの作業である。またニュースの即時性という点でも、
新聞はテレビやネットなどに劣る。合理主義の若手からすれば、
新聞を読むことなど酔狂な行為にしか映らないのかもしれない。

されど新聞からは、新聞ならではの情報が得られることも多いのだ。
端的に言ってしまえば、新聞が究極の“プッシュ型メディア”で
あるがゆえに得られる情報もあるということだ。

ネットのような“プル型メディア”からは手に入れにくい、
普段の自分が無意識に、あるいは潜在的に欲している情報を
手に入れることができるのが新聞というメディアの美点である。

また、実利に結びつく情報にも新聞ならではのものがある。
私自身は、新聞から得た顧客企業や顧客の業界に関する情報、
各社の人事情報や求人情報、社告などの公告、顧客企業の広告、
書評や書籍の広告などを、営業活動上の情報源として活用している。

けれども私は、前記のような理由から、世のビジネスパーソン方に
「新聞くらいは読んでもらいたい」と願うものではない。最も大きな理由は、
影響力の大きいビジネスパーソンの大半が新聞を読んでいるからである。

影響力の大きい…などと言うのは、何も有名企業のトップや
優秀なビジネスリーダーのことだけを言っているのではない。
例えば、世の営業マンがごく普通に接しているビジネスパーソン、特に
総務や人事といったスタッフの過半は新聞を読んでいると思った方が良い。

多くのビジネスパーソンと共有できる情報を提供しているのが新聞なのだ。

実際、“営業マンなら日経新聞に載っている情報くらいは知っていて当然…”と
営業先の相手がこのように思っていること(新聞の情報)を知らないばかりに、
顧客からの信頼を失したり、出禁(出入り禁止)を食らったりした営業マン
(もちろん、そのことだけが理由ではあるまいが)の話を聞くことすらあるのだ。

新聞を読むのに要する時間など高がしれている。
たかだか10分にも満たない時間を惜しんで(あるいは面倒くさがって)、
貴重なビジネスチャンスを逃すのはあまりにもったいない。

少なくとも営業マン(若手に限らず)には毎日、
日経新聞に目を通すくらいのことはしておいてもらいたいものである。

嵐に備えて

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企業とは環境適応業である。
時代の要請に応えうる企業のみが生き残っていくのは、
誰しもが頭では理解していることなのだろうと思う。

しかしながら、これが我が身にかかわることとなると、
我々の反応は論理的な思考回路を経由しないものになりがちだ。

すなわち、自分が勤める会社が大きく変わらなければならないという
局面は理解できたとしても、自らの仕事が変化することに対しては、
不安、拒否、諦めといった感情的な反応を抑えがたいものなのである。

今、多くの企業が生き残るために大きく舵を切ろうとしている。
既にその渦中に放り込まれているビジネスパーソンも少なくない。
それでも、世の大企業に勤めている多くのビジネスパーソンたちは、
対岸の火事とは言わないまでも、今のところは静観できる時間的な
立場に置かれているように思われる。

しかし彼らにも、さほどの時間を経ずに嵐はやってくるはずだ。

多くの企業では、4月に新しい方針が示される。
思い切った方針転換がなされる企業も少なくないだろう。
そして、それぞれの企業トップが打ち出す方針は、どう考えても、
その企業に勤める人たちにとって決して甘くはないものであろう。
嵐はすぐそこまで来ているのである。

来るべき嵐に備えて、我々は何をすれば良いのだろうか…

最も重要なのは、やはり“覚悟を決める”ことなのだろうと思う。
我々は、自らを取り巻く環境が激変することを受け入れる必要がある。
今までと同じでは、もう生き続けていくことができないからだ。

企業が環境適応業であるならば、
我々ビジネスパーソンも環境適応業者であると考えるべきだ。
我々はもっと積極的に、来るべき嵐と向き合う覚悟が必要そうである。

堤幸雄が引退?します

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今さらでは…のご紹介になりますが、
私たち株式会社ユニゾンの創業者は堤幸雄と申します。
現在の社長は堤幸政、申し上げるまでもなく彼らは父子です。

私 unison2がこの会社に入社する少し前に代替わりをいたし、
堤幸雄は取締役会長として講師業に専念して参りました。

その会長が、先月末日をもって取締役を退任いたしました。
今後は非常勤顧問として社業の発展に力を尽くして参ります。

本来であれば、お世話になった皆々様のもとに出向き、
ご挨拶差し上げるべきところ、事後報告となってしまった
お客様方には、この場を借りて衷心よりお詫び申し上げます。

本人は、「いつまでも後進の邪魔はできない…」などと
殊勝なことを申しておりますが、そこは仕事一本、講師業一本で
人生を歩んできた御仁だけに、完全に足抜け?できるかどうか…

現経営陣としては、経営のアドバイザリー的役割を期待しつつ、
まだまだ未熟な講師陣の指導・育成にも力を借りたいと思っています。

というわけで、この頃は顧問とunison2とで
お客様へのご挨拶回りに出かけることがしばしば。
昨日はリコーの近藤社長にご挨拶して参りました。

きっとそのようなことはないだろうと思うものの、
「ひょっとするとお会いいただくのも最後になるかもしれないので…」
ということで、近藤社長とのツーショット記念写真をパチリ。

近藤社長と顧問近藤社長とunison2







そして私も、どさくさに紛れて?
近藤社長とのツーショット写真をお願いしてしまいました。
近藤社長はいやな顔ひとつされず、快くお引き受け下さり、
私の仕事人生における宝物がまた一つ増えました。
(近藤社長、大変厚かましいお願いをお聞き届け下さり、
 本当にありがとうございました!)
 
あらためて写真を見てみると、弊社顧問の血色の良いこと…
まだまだ頑張れそうですね。ね?会長あらため顧問!

“若者のクルマ離れ”を考える

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国内で自動車が売れない。
これは、昨今の製造業不況に拠るものばかりではない。
実はそれ以前から、国内販売は苦戦が続いていると聞く。

その要因として挙げられているのが、“若者のクルマ離れ”である。

バブルの絶頂期に青春時代を過ごした私などからすれば、
ちょっと想像ができない若者たちの価値観の変化である。
当時の私(を含めた多くの若者)はクルマに夢中だった。
いいクルマに乗りたい、いいクルマで彼女とドライブしたい、
などと無邪気に思っていたりしたものだ。

そんな私たちを現代の若者たちが見たら、
“なんと脳天気な…”と思ったに違いないであろう。

それはさておいても、
クルマに興味を示さない若者が増えているというこの傾向は、
生活基盤を都市圏に置いている若者たちに、特に顕著であるらしい。

さもありなんと思う。極論すれば、都市圏で生活している限り、
クルマがなければ生活に支障をきたすなどいうことは一切ない。
かてて加えて、とにかくクルマは金食い虫だ。

種々の税金、保険代、燃料代、維持費、駐車場代…、
たとえ動かしていなくても多額の経費がかかる。
若者たちに限らず、堅実な考えを持っている人ならば、
都会でクルマを所有しようなどとは考えないと言っても良いと思う。

だから私は、“若者のクルマ離れ”などいう報道を見聞きしても、
彼らの見識に感心こそすれ、そのことを嘆くようなことはなかった。
財布にも環境にも良いのだから、これも現代の価値観だろう…と。

ところが…、これがどうやら良いことばかりでもないらしい。

昨今、複数の企業の人事担当者から同じようなぼやきを聞いた。
「ウチは車がないと仕事にならないのに、
 免許を持っていない新入社員が増えているんですよ…」

都市圏とは言え、自動車がなければ仕事にならないビジネスは結構ある。
多くは、ルートセールスやサービスエンジニアといった顧客接点活動を
行う仕事だ。学生もそのことを承知の上で志望したはずなのに…と、
人事担当者たちは首をひねっている。

それでも大半の学生たちは、卒業までには免許を取得するそうだ。
しかし、中には「仕事で必要な資格なのだから、免許取得費用は
会社で負担して欲しい」と真顔で迫る学生もいるのだそうだ。

また免許は持っていたとしてもペーパードライバー比率が高く、
現場に配属する前に新人を自動車教習所に通わせている会社や、
運転技能が未熟な若手が増えて事故が多発しているなどいう会社もある。
このような企業の負担は、決して軽いものではない。

自動車の運転技能も、語学や各種技能と同様だと考えれば、
本来、自らの負担・自らの責任で習得すべきだと私は思う。

さりながら、一方で私は、昨今の若手社員の間には
“仕事で必要な能力を開発するための負担は企業が負うべき”
という価値観が広がりつつあるとも感じている。
昨今の経済状況下でその傾向にブレーキがかかってきてはいるものの、
若い世代の価値観は侮れない。“若者のクルマ離れ”も然りである。

彼ら若い世代の価値観を敏感に察知して、いち早く、自社の経営に
具現化できることが、企業生き残りの条件の一つになるかもしれない。

K.Mに学ぶ

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不況だからこそ、大活躍している人がいる。

と言っても、この人は現世の人ではない。
松下電器産業(現Panasonic)の創業者、松下幸之助氏である。

最近、書店のビジネス書コーナーで彼にまつわる本をよく見かける。
また書籍ばかりではなく、彼の講話を収めたCDやDVDの広告なども、
以前にも増して目にする機会が増えた気がする。

それらはいずれも、同じような宣伝の常套句で飾られている。
『こんな時(不況)だからこそ、松下幸之助に学ぼう!』

私も企業の人材教育事業に携わる者として、
彼の考え方や彼が遺した言葉をまったく知らないわけではない。
けれども、私は今まで、じっくりと彼の著作を読んだり、
彼の講話(録画・録音)に耳を傾けたりしたことはなかった。

なにを隠そう、私は彼を毛嫌いしていたのだ。

いや、“毛嫌い”と言う表現には少々語弊がある。
私が彼を遠ざけていたのには、それなりの理由があった。
そのわけを少しお話しさせていただくと…

私がユニゾンに入社した5年ほど前、
当社には60歳を越えた大ベテランの講師が複数名いた。
(うち何名かは今も現役で頑張っている)
当時、私はこの業界の門外漢である。
研修講師として私が独り立ちするには、
彼らの薫陶を受けなければならなかった。

当然、彼らからの薫陶よろしきを得て今の私がいるのではあるが、
中にはどうしても腑に落ちてこない御指南があったのも事実。
今から考えれば、腑に落ちてこなかった原因は明白だ。
それは、特定の先達との人間関係にあった。

そのような、あまり良好とは言えない人間関係において、
その先達が持ち出した松下幸之助氏の考え方や言葉が、
当時の私に素直に入ってくるはずもなく、それらは“単なる精神論”や
“かび臭い言葉”として私の印象に刻まれてしまったのだ。

そんな、まったく個人的な感情が邪魔をしてしまい、
私は彼と素直に向き合う機会を逸してしまったのだ。

時は流れ、私も自らが研修講師として独り立ちできるようになって、
今では、当時耳にした彼の言葉を受講者に紹介することすらある。
それでも、彼の著作を手に取ることにはためらいを感じていた。

しかし、そんな私にも好機がやってきたのだ。
彼が再び脚光を浴びている時だからこそ、彼に学んでみようと思い立った。
まずは、彼の代表的著作である『道をひらく』と、
『不況克服の知恵』と題されたCD講話集を早速購入してみた。

彼との再びの邂逅に、私は期待を膨らませている。

自己啓発の“押しかけ宅配”

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昨今のビジネスパーソンは、おしなべて自己啓発に熱心だ。

特に、20歳〜30歳代の若手リーダーたちにその傾向が強いと感じる。
中には、100万円もの身銭を切ってビジネススクールに通ったり、
ビジネス書を年間200冊超も読んだりしているような強者もいる。

無論、大半の人はそこまではいかないまでも、この世代のリーダーには、
『知識欲が旺盛でインプット力が高い』という共通点が挙げられそうだ。
そしてこの点は、この世代のリーダーたちの美点であると言って良い。

しかしながら、研修事業に携わるものとして大変残念に思うのは、
そんな彼らが自らの自己啓発で得た知識や気づきを、周囲に対して
積極的には開示しようとしないことである。

実際、私たちの若手リーダー研修などで発せられた彼らの発言からは、
“そんなに知識があるのなら、後輩や部下に教えてあげれば良いのに”と
思われることが少なくない。

なぜ彼らは自己啓発で得た学びを積極的に開示しようとしないのか?

私たちが見る限り、その理由は“自分が独力で学んだのだから、
他人に教えるなんてもったいない”と彼らが思っているからではない。
今時の若手にそんなケチな了見を持っている人はまずいないだろう。

では、その理由は何か?と問われれば、“他人からのお節介を嫌う
彼ら共通の価値観に根ざしているから”という答えになりそうだ。

例えば、彼らは“他人は既に知っているのではないか?”と
思われるような知識や気づきを周囲にひけらかしたがらない。
また、仮に“誰かに教えてあげたい!”というような知識を得たとしても、
「こんなことを学んだんだけど知ってた?」などとは言いたがらない。

どちらも、自分が逆の立場なら『要らぬお節介』と感じるからである。
それは、“本人の自発的な意志なくして『学び』は成立しない”という
学びの本質を彼らがよく知っているから、と言い換えることもできる。

そのように考えると、彼らが自己啓発で得た知識や気づきを積極的に
開示したがらないのは、ある意味、合理的であると言えるかもしれない。
それでも私たちは、このような若手のリーダー方に対しては、
敢えて『自己啓発の“押しかけ宅配”』をお勧めしたいのである。

ビジネスは時間との戦いである。限られた時間の中で、自分の後輩や
部下の自発的な成長を根気強く待っているだけの時間はないのだ。
自らが得た学びを積極的に彼らに開示する=“押しかけ宅配”をする
ことで、彼らとのコミュニケーションの機会と量を増やすとともに、
彼らの“学び心”を刺激してやる必要性がリーダーにはあると思う。

「実はこんな本読んだんだけどさぁ…」と、まるでテレビの話題でも
する位のタッチで、この種の話ができればしめたものである。
もちろんこれは、なにも若手リーダーに限った話ではない。
世のすべてのリーダーには、自らの学びを“恥ずかしがらすに”、
周囲に対して開示する癖をつけていただきたいものである。

The デザイン

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日経ビジネスの最新号(3月2日号)に、
『デザインで不況に克つ』という特集記事が掲載されいた。

ユニクロ、無印良品、Appleなどのデザイン戦略を取り上げて、
この不況下を生き抜くためにデザインがいかに重要な要因であるか、
を論じている記事で、とても興味深い内容だった。

私には、“デザインとは何なのか”を説明することはできない。

けれども、自分の価値観にフィットするような姿形をしたモノや、
機能美を追究したようなモノには、人並みに惹かれる。
だから、デザインが消費者の重要な購買動機になるという話も、
すんなりと受け入れることができる。

しかし、そのような感覚を持っている
(と言っても、ごく普通の感覚だと思うのが)私の印象では、
日本企業(特に大手企業)が作り出す工業製品の多くは、
残念ながらデザインを重視しているとは思えないのだ。

それはこの記事にも書かれている通り、
日本企業におけるデザインという概念や、それに携わるデザイナーの
社内的な地位が決して高くない、ということにも起因するのだろう。

また(これはまったくの私見ながら)、未だにこの国の“ものづくり”の
価値観が、同一アイテムの“大量生産・大量消費”を前提としている、
ということが、その要因の一つに挙げられるのではないだろうか。
これは日本のものづくりの現場において、“コスト削減”という
“伝家の宝刀”が振りかざし続けられていることとも無縁ではないと思う。

ところで、私は自動車という工業製品が大好きで、
昨今乗る機会は随分と減ってしまったものの、色々な自動車を眺めたり、
空想の中で購入計画を立てたりする時間を楽しんできている。

そんな中で私は、日本車のデザインに対して大いに不満を抱いてきた。
その姿形もさることながら、例えば内外装のカラーやシートの材質など、
消費者が選べる選択肢の幅が、外国車に比べて驚くほど狭いからだ。

今でこそ日本車も随分と頑張ってきてはいるが、それでも、
ドイツ・フランス・イタリアなどの車に比べれば見劣りする。
得心がいかないのは、同じ車種でもヨーロッパに輸出される日本車の方が、
国内仕様より外装色が豊富、内装の種類も多い、などいうことが、
未だにあるということだ。これはひとえに“コスト削減”が理由であるらしい。

されど穿った見方をすれば、ひょっとするとメーカーは、
日本人はデザインにお金を払わないだとか、
愛着を持たれたら買い換えが進まないから困るだとか、
そんな一世代も二世代も前の価値観を引きずっているのではなかろうか?
などと疑いたくもなる。

この国でも、これからますます“個人の感性”が重要視されるようになると思う。
そんな時代に、同一アイテムの“大量生産・大量消費”を
前提とした工業製品が生き残れるとは到底思えない。

“個人の感性”を表現することに熱心な消費者は、
自分が選ぶ“モノ”にその感性を代弁させようとするはずだ。
そのための最大の武器が“デザイン”になるのだろうと思う。

世の社内デザイナー方の一層の奮起を期待したい。

不安な時代に何をすべきか

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「未曾有の経済危機(不況)」などと言われる。

これは、何もメディアを通して語られるだけではない。
最近では、私たちが研修や営業活動の場を通して出会う、
多くのビジネスパーソン方も同様のことを語る。

「こんなことは今までなかった…」
「先行きがまったく見えない…」
「どうすれば良いのか全然わからない…」

確かに、厳しい時代が到来しているのだろうと思う。
そんな中で、将来に対する不安を抱く人たちが増えている
というのも、おそらく事実なのだろう。

さりながら…である。

私たちは、生きている限りこの不安と向き合っている。
将来が見えないのは今に始まったことではないのだ。
自分にとって、たまたま物事がうまくいっている時は、
その不安と真剣に向き合う必要がなかっただけのことである。

少々乱暴な見解かもしれないが、真剣に“生きる”ことを考え、
実践するには、絶好の時代が到来しているとは言えないだろうか。
少なくとも私は、そのように考えている。

そして、こんな時代だからこそ、私は
次のことに真剣に取り組もうと決意している。

一つは“大いに悩むこと”。今は“悩む”のに最高の時だ。
可能な限り、大いに悩む時間を持ちたい。

もう一つは“地道に動くこと”だ。
奇手・奇策ではなく、今できることを愚直に進めていきたい。

いずれも“楽観的に取り組むこと”が三つ目の決意事項である。
今の時代、いや、どんな時でも苦しいと思えば負けだ。
苦しみを楽しむくらいの“ふてぶてしさ”も必要なのだと思う。
ユニゾンの書籍


『はじめての管理職100問100答』

(株)ユニゾン 堤幸政/河村亜紀 著

明日香出版社

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