ユニゾンのENSEMBlog

「人と組織のマネジメント」にユニークな価値を提供し続ける企業
「株式会社ユニゾン」
マネジメント研修を事業のドメインに据える
同社の社長とスタッフたち(ときどき)とで綴るブログです。
頻度はそこそこ、中身は真面目にがモットーです。

2006年07月

立ち撃ちバンバン

最近は、商品知識が豊富な営業マンが増えている。
もちろん、商品知識はあるにこしたことはない。
お客様の質問に何一つまともに答えられないような営業マンなどは
お寒い限りである。しかし、豊富な商品知識が徒となるケースもある。

典型的な例を紹介すると・・・
我が社はかように立派で、我が社の商品はこんなに素晴らしい。
と綺麗な資料をめくりながら、まるで多くの聴衆が聞いているかのごとく
説明を続ける。お客様が質問をしたくても、そんな隙すら与えない。

私は、他社の営業マンから売り込みを受ける立場にもある。
このような営業マンに出会う機会も少なからずある。

そのような時は必ず、営業マンの説明が一段落したところで、
「それで?」と尋ねるようにしている。そこで、その営業マンが
「ですから、是非買って下さい!」とでも言ってくれるのなら、まだ溜飲が下がる。
しかし大抵は、ご丁寧に「かくかくしかじか」と再度お説を頂戴することとなる。

なぜ、そのようなことになってしまうのか?

一つには、お客様の質問や反対が怖くて、
しゃべり続けてしまう営業マンの心理が想像できる。

もう一つには、商談の場をプレゼンテーションの場と同義に捉える風潮が
あるのかもしれない。確かに、商談の場も一種のプレゼンテーションの場ではある。
しかし、大勢の聴衆に対してワンウェイで行うプレゼンテーションと、
お客様に面と向かうツーウェイのプレゼンテーションでは、当然勝手が違うのである。

真剣に購入を検討している場合、
このような営業マンに出会うと、私は内心“しめしめ”とほくそ笑む。

全てのセールスポイントを挙げ連ねてもらった上で、
「お宅のセールスポイントはよくわかりました。
 でも、大体よそ(競合他社)も同じだよね?」
と一言添えるだけで、後はたやすく価格交渉に持ち込めてしまう。

セールスポイントの出し惜しみをしろ、と申し上げているのではない。
世の中に似たような商品はない、
と万人が認めるものを扱っている営業マンでもない限り、
世の営業マンが扱う商品に、独自のセールスポイントは数えるほどしかないはずである。

その数少ないセールスポイントをムダに撃ってしまえば、
残りのタマ(切り札)は価格しかない。
私たちは、商談の場でセールスポイントをムダ撃ちすることを
立ち撃ちバンバン」と呼んでいる。

商談の立ち上がりで、「いきなり立ち撃ちバンバン、後は丸腰」
などという状況は避けたいものである。

商品知識が豊富な営業マンこそ陥りやすい罠とも言えるので、くれぐれもご用心を。

鈴木課長

日経新聞の“春秋”にも取り上げられていた、
文化庁の「国語に関する世論調査」

調査項目の一つに、
「外部の人の前で上司をどう呼ぶか」という質問がありました。

“春秋”では、呼び捨てが7割近くに達していることを、
「社会人マナーの初歩のせいか、さすがに回答に揺れがない」と、
評価する論調でした。

しかし私は、逆に3割の人が、「役職名」や「さん」などの
敬称をつけて呼ぶべき、と答えていることに驚きました。

世の鈴木課長には申し訳ありませんが、調査結果の通り、
鈴木さんを例に引いてお客様から電話があった場合を想定すると・・・

お客様:「もしもし、鈴木課長はいらっしゃいますか?」
従業員:「鈴木課長ですね?しばらくお待ち下さい。(保留音)」
    
従業員:「お待たせいたしました。
     鈴木課長は外出いたしております。
     鈴木課長へのご伝言を承りましょうか?」

とまぁ、このような具合でしょうか。
私などは、この従業員はあからさまなマナー違反を犯していると感じます。
ところが、そのように感じない人が3割にも達しているのです。

そう言われれば、営業先で自社の人間を役職付きで呼ぶ人が増えている、
特に、若い世代にその傾向が強い、と感じていました。

まったくの私感、
そのような組織には、お互いを傷つけない距離感を保ちながら、
おっかなびっくり付き合っている上司と部下が多いのでしょう。
職場での希薄なコミュニケーションと、外よりも内を重視する組織が
増加していることを想像させる結果です。

公私混同

仕事の場を離れたところで、仕事の話や仕事への想いを話したり
していると「仕事好きだねぇ〜」と冷やかされることがある。
また、遅くまで仕事をしたり、休みに仕事をしていると、
プライベートな時間は?と不思議がられることもある。

最近、仕事と私生活を分けて考える方が多くなっている。
“ライフワークバランス”という言葉も、かなり定着した。

しかし、ライフとワークを分けて考えないほうが、充実した
“ライフ”になるのではないだろうか?と私は思う。

日本語で表現すれば、公私混同であろう。
公益の“公”と、私利私欲の“私”ではなく、相互の時間や価値観、
やりがいや目標を共有する意味での、公私混同である。

難しいことではあるけれど、“公私”の自分が目指す先が一致していると、
すばらしく人は輝き、成果を出し、成長もする。
また、公私を分けて自分の逃げ場を作るよりも、仕事も含めて、
全ての経験や出会いを楽しむことを考えるほうが、私は得だと思う。

古代への浪漫

中学校の修学旅行の行き先は京都・奈良方面でした。
一日だけ有志のグループで自由行動をする日程があって、
私たちのグループは、なぜか飛鳥方面に出かけました。
ちょっと大人びた(?)場所に出かけてみたかったのだと思います。

当時の記憶はほとんどありません。
けれども、蘇我馬子の墓と言われている石舞台や飛鳥寺で、
仲間達と楽しそうに笑っている写真が手元に残っています。

その飛鳥がこの国の中心であったとされる、今から1400年ほど前、
当時の蘇我入鹿や聖徳太子の姿を描いた小説を、恩師にいただきました。

4e02eb20.jpg

聖徳太子―日と影の王子(全四巻)」
 ※写真は「聖徳太子」
紅蓮の女王―小説 推古女帝

ともに、黒岩重吾さんの作品です。



歴史のお勉強とお札でしか馴染みのない聖徳太子や、
石舞台の蘇我馬子が、とても人間(男)くさく描かれています。
中でも、この二冊に登場する蘇我馬子はまさにフィクサー的存在。
善悪を超越した人間の底力を感じさせる魅力的な人物です。

古代への浪漫などと言うと笑われてしまいそうですが、
甘酸っぱい思い出と共に、二十ウン年ぶりに彼の地を訪れてみたいな、
と旅心もわいてきました。

ところで、和を以て尊しとする「十七条憲法」を制定したのは、
聖徳太子であると習った覚えがあります。
「聖徳太子」の解説で、それは疑わしいという評価が最近の通説である、
と書かれていました。

最近の子どもたちはどのように習っているのでしょう?
こと歴史に関しては、不変の知識など存在しないのですね。

気になるチラシ

自宅の郵便受けには様々なチラシが投げ込まれます。

大半は、一瞥すらせずに古紙の束行きとなるので困りものですが、
中には、思わず目を引かれるチラシがあります。

例えば、しばしばポスティングされる不動産会社のチラシ。

“○○駅のマンションにお住まいの方へ
 徒歩5分以内の物件を探しています!”

家を売る気がないにもかかわらず、つい読んでしまいます。
我が家が、このチラシの条件にズバリ“はまる”からでしょう。

さらに、このチラシの中身が興味深い。
代表的な文面は大体以下のような内容です。

“△△県で建設会社を営むAさんご夫婦が
 ○○駅付近のマンションをお探しです。

 Aさんは、ご子息の東京転勤に伴って、
 ご子息のご家族がお住まいになるお部屋と、
 Aさんご夫婦が、週末お孫さんの顔を見るために滞在する
 セカンドハウスとして利用できるお部屋を探しています。”
 
と、なにやらセレブな雰囲気の漂うストーリー。
そんな話があるのか?と思いつつも何となくリアリティを感じる。

そしてチラシの後段には、具体的な部屋の広さやタイプ、
入居希望の時期などの条件が明示され、極めつきは、

“Aさんは、条件に合うお部屋があれば市価より高くても構わない、
 とおっしゃっています”

との注釈とともに、
確かに市価より高い買取希望価格が掲載されています。
もし、少しでも家を手放す気がある住民がこれを読んだら、
グラッと来てしまうであろう、魅力的なチラシに思えます。

今、一般個人宅の訪問販売に携わる営業マンは大変な苦労をしています。
ポスティングにも色々と頭を使っているのでしょう。このチラシには、
効果的なポスティングのヒントが含まれているのかもしれません。

“だじゃれ”とは、教養を示す気の利いた言葉遊びである

私は同世代の同じ女性と比べると“だじゃれ”が多いようだ。
周囲の人間に言わせると『酔っぱらいのおやじ』のようと、
表現されてしまう。

私は、アルコールは飲めないのにも関わらず、酔っぱらいである。
しかも、性別も超えてしまった。
余談だが、先日放送の月9ドラマの中で、仕事をすると男性は女性化し、
女性は男性化すると表現されていたが、確かにと思わなくもない。

そんな理由で“だじゃれ”に興味を持っていたところ、今日の新聞に
小泉首相がサミットにおいて、英語の“だじゃれ”を連発したという
記事を発見した。
総理大臣も“だじゃれ”を言うのかと妙に親近感を持った。

そもそも“駄洒落”とは、同じまたは似た音の言葉をかけて遊ぶ、言葉遊び。
気の利いた言葉遊びを意味する「洒落」に「駄」が冠された言葉。
“駄”と付くくらいなので、「おやじギャグ」と言われるのも頷ける。

一方、“だじゃれ”は語彙が増え始める小学生低学年の子どもたちが、
夢中になる言葉遊びでもある。
小泉総理大臣も英語の語彙が増え始めたのだろうか。

おっと、総理ソーリー!                       …あれ?
    

南州酒場 てげてげ

てけてけ外観
今日は白熱した議論の脱線編を会社近くの居酒屋さんで。

行ったお店は、『南州酒場 てげてげ』
いつも満席で、気になりながらも通り過ぎていましたが、
今日は運良く席が空いていたので入ることができました。







てけてけ店内

このお店の人気の秘密は、
・九州出身で男前な店員さん達の気持ちの良い接客
・九州・沖縄郷土料理とそれにマッチしたお店の雰囲気
・品揃えの多い焼酎・泡盛
のようです。


てけてけ料理

写真の料理は私の大好きなゴーヤチャンプルと
空芯菜と青菜の炒め物。
他にも、珍しい日南名物“おび天”など、
珍しいメニューも豊富にありました。

手軽な価格とおいしい料理、雰囲気の良さで
私のお気に入りのお店の1つとなりました。

一発のくしゃみ考

「べっくしょい!!」

向かいのホームでサラリーマンがくしゃみをしました。
吹き飛ばされたしぶきを目の当たりにして、
飛沫感染の凄まじさに思いを巡らせると同時に、
常日頃から感じていた疑問が頭をもたげました。

“なぜ、口に手をあてがわないんだろう?”

私は、人前で“くしゃみ”や“あくび”をすることに
さして頓着しない人が、徐々に増えていると踏んでいます。
これは年齢や性差に関わりがない現象のようです。

うら若き女性のあられもないあくび姿を目撃した経験は
枚挙にいとまがありませんし、紳士然とした初老のサラリーマンに
背後からくしゃみのシャワーを浴びせかけられたこともあります。

ちょっと手をあてがえば済むことなのに、それをしない。
未知の他人に対して関心を払わない人が増えているのか、はたまた、
くしゃみやあくびをする時に手をあてがう習慣がないのか、それを
教えてもらったことがないのか、定かではありません。

しかし私は、くしゃみやあくびをする時、口に手をあてがうことは
最低限のエチケットだと思っています。

私は神経質なのでしょうか?

私、部長ができます。

バブルが弾け、多くの企業でリストラが断行されていた頃、
こんな笑い話をよく耳にしました。
当時の日本企業の管理職に専門性がないことを揶揄した話です。

転職の面接に訪れた元管理職が面接官に尋ねられます。

面接官 :「○○さんは何ができますか?」
○○さん:「はい、部長ならできますが。」
面接官 :「・・・(絶句)」

以来20年近く、管理職には業務のエキスパートであることを
求められ続けてきた感があります。
デキる管理職とはデキるプレイヤーである、そのような価値観は
大半のビジネスマンに浸透しているのではないでしょうか。

ところが昨今、
管理職を取り巻く環境の風向きが変わってきたことを感じます。

研修業界においても、つい数年前までは、
例えば、営業マンの営業力やプレゼンテーション力を高めるような、
業績に直結するスキル系の研修プログラムが多く実施されてきました。

しかし最近は、管理職の研修、
それもリーダーシップの開発やマネジメント能力の強化といった、
リーダーとしての自覚とその役割に相応しい立ち居振る舞いを
身につけることを目的とした研修を実施する企業が増えています。

そのような企業は九分九厘、
管理職に管理職たる専門性を持ってもらいたいと考えています。
単に部下のモチベーションを維持・向上させるだけではなく、
部下を育てることができる魅力ある管理職の存在こそが、
次代の我が社を発展させる原動力であると確信しているようです。

これからの管理職は、
業務のエキスパートであるだけでは責任が果たせません。
人間的な魅力に溢れ、部下を育てることができるマネジメント能力を
身につけた管理職のエキスパートであることが必要なようです。

「私、部長ができます」
昔とは違った意味で、軽々しく口にはできない時代です。

七夕のお願い

少し前(7月に入ったすぐくらい)になるが、私の家の近くの
スーパーマーケットで、笹と短冊が用意されていた。

私が買い物に行ったときに、大学生らしき数人のグループが、
用意されたテーブルで短冊を書きながら、おやつを食べたり、
楽しそうに雑談をしたりしていた。

近くでは子どもが短冊に“願い事”を書きたそうに、
その周りをウロウロと様子を伺っていた。
それでも大学生のグループは子どもたちに場所を譲ろうとはしない。
というよりも全く気づいていない。

私が買い物を終え、支払いをしている頃、大学生たちは席を立ち店を後にした。
お子さんも母親の買い物が終わってしまったのか、先に姿を消していた。

誰もいなくなった、その笹へ近寄って、新しく結ばれた数枚の短冊を
見てみるとその大学生が書いたとおぼしき短冊は、
どれも友だちの名前の羅列から始まって、
『◇×△○と一緒に卒業できますように』とか
『○◇×△みんなが、しあわせでいられますように』
『△○×◎と毎日楽しく過ごせますように』
などと願いごとが書かれていた。

親しい友だちの幸せを願えても、近くで順番待ちをしている
子どもには気付かない。
どうか、自分たちの楽しい毎日を願う前に、子どもに気づいて
場所を譲れる人間に成長して欲しいと私は願う。

そして私もそこで一言、大学生たちに「子どもが待ってるよ」と
声をかけられる自分になれるようになろうと反省した。

ブックカバー

最近、ブックカバーが売れているらしい。
web上でもブックカバーで検索すると、プリントアウトして
ブックカバーとして使えるひな形などが多く公開されている。

私も最近、ブックカバーを探していて、そのことに気づいた。
今まで、本屋さんで本を買うと、必ずその本屋さんのブックカバー
を掛けてくれた。
しかし、最近はアマゾンで本を購入するので、ブックカバーがないのだ。
また、少し古い本なら、ブックオフで買ったりもするが、
これもブックカバーがない。

電車の中などで、読んでいる書籍のタイトルが丸見えなのは恥ずかしいと
いう感覚を持つ人は多いようである。
気を付けて観察していると、電車の中でも本屋さんのブックカバーではなく、
布製や革製のブックカバーを使っている人が多くなっていた。

風が吹いたら桶屋が儲かるとはこのことか。

うろつき上司

部下よりも上司の方が忙しくしている。
昨今の職場では当たり前の風景のようだ。

昔はそうではなかった。課長、部長、本部長・・・と
上位役職者になるほど、暇があるように見受けられた。
そんな記憶が皆さんにもないだろうか?

先日、あるお客様と昔の上司の話になった。当時は、
出勤すると上司が新聞を読みながらコーヒーをすすっていたものだとか、
上司がうろつきまわり、やたらと話しかけられて困ったものだとか、
くだらない駄洒落を連発する上司への対抗策を考えていたものだとか・・・
古き良き時代(?)の上司の話に花が咲いた。

翻って昨今の上司はいかがだろう?
デスクで新聞を読んでいるなどもってのほか、
部下に雑談でもしかけようものなら周囲から白い目で見られる、
当然、上司がうろつける雰囲気にはない。
そのような職場が多いのではなかろうか。

昔は良かった、などと言うつもりは毛頭ないのだが、
職場のコミュニケーションが希薄になっていると言われる一因は、
うろつかない上司の存在にあるのではないか?私はそう思っている。

折しも先週末、ため込んでいたビデオで、
NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ていたら、
カードゲームのムシキングを開発した植村比呂志さん(部長)が、
部下の周りをやたらとうろつきまわる姿が紹介されていた。
彼曰く、部下が上司に話をしやすい環境を作らなければならない、
その信念の元に自分の今の行動がある(意訳)、とのこと。

植村さんの実績を部下は尊敬しているだろうし、
あまりにもレベルの低い駄洒落は連発しないだろう。
しかし、そんな植村さんでも部下の周りをうろつき続けるのは、
相当にしんどいことだろうな、と思う。

偶然、同じ番組を見ていたスタッフにこの話をしたところ、
「あんな上司がいたら、うかうかネットサーフィンなどできませんよね!」
とのたまう。なるほど。

高額のシステム投資をして、
従業員のメールやネット閲覧のログを監視する企業もあるようだが、
最もプリミティブ、かつ、最も効果があるのは
「うろつき上司」の存在かもしれない。

そこで、はたと気がついた。
当のスタッフは一体何が言いたかったのだろうか?

異文化コミュニケーション道場

異なる文化や価値観を持つ人とのコミュニケーションは、
自分の見聞や視野を広げてくれるものです。それのみならず、
コミュニケーション能力を磨く意味でも有効です。

英会話教室に通ったお陰で、
会社の上司や同僚とのコミュニケーションが苦にならなくなった、
と話していた友人がいます。

彼によれば、自発的、かつ積極的に話題を探し、
自分から話そうとしなければ英会話は上達しない。
英会話を通じてコミュニケーションのツボを掴んだようで、
思いがけない収穫があった、と話していました。

異文化コミュニケーションの効用とでも言えるでしょう。

異文化コミュニケーションとは、
何も外国人とのコミュニケーションばかりを指すものではありません。
文字通り、異なる文化を持っている人とのコミュニケーションと考えれば、
同じ日本人でも異なる世代間のコミュニケーションは、
異文化コミュニケーションと言えるのではないでしょうか。

その意味において、当社は、20歳代〜60歳代まで取り揃えた(?)
異文化コミュニケーション道場のような職場です。

そんな我が職場を観察すると、世代間の価値観の違いは、
素直に受け入れがたい傾向があるように見受けられます。

相手が外国人であれば、「そういう見方もあるのか!」
と異なる価値観の存在を認められるところ、
なまじ、同じ日本人であるがゆえにバイアスがかかってしまう。

ところが、それぞれの世代の常識や価値観の違いは、
一般に想像される以上に、異なっているように感じます。
それぞれの世代には、その世代が持つ固有文化があるのです。

年の離れた上司や部下に対して、
「何を考えているのかわからない・・・」とお嘆きの諸氏、
異文化に触れる意識を持って、自分から胸襟を開くことをお薦めします。
お互いの理解が深まり、コミュニケーション能力も向上すること請け合いです。

普通の暮らし

最近、「仕事をがんばる=つまらない人生」
というような感覚を持つ人が増えているような気がする。

先日、高校生と話をする機会があったが、職業観について質問すると、
「普通の生活さえできればいいから、仕事はそんなにがんばりたくない。
 好きなことをしていられる人生を送りたい」と言っていた。

そこで、「普通の生活とはどんな生活?」と質問すると、
これがなかなかハイレベル。
親のすねでもかじらなければ、がんばらずに維持できるレベルではない。
また、「していたい“好きなこと”ってなに?」と質問しても、
具体的な“好きなこと”など帰ってもこない。

あきれた話はさておき、今の日本は本当に恵まれている。
お金が無ければ生活ができない。お金を稼ぐために働くのだという
当たり前の構造が崩壊してきている。
その為、職業観も多様化しており、企業としても社員1人1人の
モチベーションを保つのに苦労している。

時代が変わる中で、本人ががんばりたくないし、困ってもいないというので
あれば、“なぜ仕事をがんばらなければならないか”ということの答えを
私は持ち合わせていない。
ただ一つ、間違いなく言えるのは、普通の暮らしを手に入れるため、
がむしゃらに働いて来た世代の方々は強い。

自殺やうつなどが増加しているこの時代、この辺りにヒントが
ありそうな気がしてならない。

カフェテリア

このところ多くの企業でカフェテリア形式を取り入れている。
カフェテリアと言えば、真っ先に思い浮かぶのは社員食堂。
好みの料理をチョイスできる社食を備えた企業も増えているそうだ。

また社食のみならず、企業にカフェテリアは浸透してきている。

福利厚生や研修などの教育プログラムに幅広いラインナップを取り揃える。
従業員が志向する進路(キャリアプラン)に選択の幅を持たせる。
いずれも、従業員の満足度を上げるための企業努力と言って良いだろう。

今の日本では、昔のように仕事を辞めたからといって、
“食うに困る”ということは無い人が多い。
“仕事=生きる手段”という動機を持っていない現代人が“働き続ける”には
給料という報酬のみではモチベートし続けきれないのである。

そこで雇用する側としては、従業員をつなぎとめるための
エンプロイアビリティ(雇用される能力)の促進プログラムや、
本人のキャリアプラン開発に応える能力開発プログラムを
取り揃える必要に迫られているのかもしれない。

方法は一つではないけれど、従業員の心をつなぎとめるには、
本人が“この会社にいることで成長できる”と感じることのできる
環境や仕組みづくりが大事なのであろう。

リラックスタイム

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銀座の「海ごはん」


週末金曜日、職場で頻繁に利用する店です。
もともとは、unison1 行きつけの店ですが、
家庭的な料理とリーズナブルな値段に惹かれて、
私も常連の仲間入りをしています。


通い詰めているとありがたい出会いがあります。
写真は、アクアウエストの西口社長とのツーショット。
unison1が、六年ほど前に「海ごはん」で知り合って以来、
なぜかお店で一緒になることが多いというご縁のある方です。

今日も偶然お店でお会いしたのですが、
気がつけば同じ席で長時間ご一緒いただきました。

見ず知らずの方とお近づきになれるのも、このような場があってこそ。
利害関係なく楽しい場が共有できる時間は、
私にとって、極上のリラックスタイムになるようです。

リーダーシップの“へそ”「悪い報告」

部下からの報告は早いほうが良い。
また、良い報告よりも悪い報告を早く知らせて欲しい。
大半の管理職はそう思っているはずです。

ところが、悪い報告はなかなか上がってきてくれません。

「申し訳ないのですが・・・」
おずおずと部下が報告をする頃には、問題が火を噴いてしまっている。
すぐにでも、全力で消火作業に注力しなければならない。

「どうしてもっと早く報告しないんだ!」
部下を怒鳴りつけたくなったことのある管理職は少なくないでしょう。

もちろん、部下の立場からすれば悪い報告はしたくない。
上司に知られないうちに火を消してしまいたい。その心情は理解できます。
しかし、問題を抱え込んでいるうちに火の手がまわってしまうことが多いのです。

ですから、部下は黄色信号が点った段階で素早く上司に報告すべきですし、
上司は部下からそのような報告があった際に嫌な顔をしない、
間違っても怒鳴りつけたりしないことが大切です。

また最近では、メールで上司へ報告するということも多いでしょう。
メールは大変便利なツールです。けれども、
悪い報告を上司から見えづらくしてしまう弊害もあります。

部下は無意識に、持てる限りの作文能力を駆使して、
悪い報告の悪さ度合いを薄めてしまう。
忙しい上司であれば、全てのメールを注意深く読み込むことなど不可能です。
お互いに悪意がなくても、結果的に危険な兆候を見逃してしまうのです。

先日、ある部長さんが、
「私は、悪い報告にはメールを使うなと指示しています」
とおっしゃっていました。私も同感です。

「体調不良で休ませてください」
「電車が遅れて遅刻します」

そんな連絡が部下からメールで入る。
管理職がそれを認めているような組織はかなり危険な状態です。

アメリカの営業マン

アメリカの営業マンは、
中小企業の社長に「買って下さい!」とクロージングを迫ったり、
飛び込み営業をして「ご挨拶だけでもお願いします!」と
名刺を差し出しながら頭を下げたりしているのでしょうか?

先日、アメリカで法人営業の販路を開拓するお仕事をなさった方から、
アメリカの営業マン事情の一端をお聞きする機会がありました。

その方によれば、日本の営業マンの営業スタイルとは異なるが、
かの国にも“泥臭い営業マン”は間違いなく存在するとのこと。

ただし、日本の営業マンとは以下の二点が異なるそうです。

 ,修慮柩儼疎屬畔鷭
  −雇用形態がレップ(Sales Representative)と呼ばれる独立事業主で
   多くはフルコミッションの実力主義による報酬を得ている−
  ※我々の営業代行サービスも同じような考え方です。
  
 販売に特化した活動
  −販売後のフォローや継続的な人間関係を維持するのにあまり熱心でない−

営業という仕事にはお国柄が色濃く反映されるようです。

大いなる誤解かもしれませんが、かの国の営業マンは、
「我が社の商品は最高だろう?どうだ参ったか!」
という営業スタイルをベースにしているような印象を持っています。

アメリカの営業マンは一体どんな仕事ぶりなのか?
ご存じの方がいらっしゃったら、是非、教えて下さい。

当たり前にしたいものです。

先日、お会いしたお客様がこんなことをおっしゃっていた。
「入社して間もない女性が『結婚が決まったので退職します。
仕事にも向いていないですし。』と辞めてしまいました。
今時、寿退社も珍しいけれど、そんなに早く向き不向きを判断されても…」

かつての過剰なフェミニズムから一転して、明らかに昨今、働く女性に対する
社会の反応は変化してきた。
完全ではないけれど、女性も社会に出やすくなった今、今度は本当の意味で
女性が働くことを“当たり前”にすべき時期に来ていると感じる。

それには企業も政治も社会も、もう一歩前に踏み出す必要がある。
何より当の女性が、仕事を持ち、子どもも産み・育て、社会の一員としての
役割を担っていく意志を持たなければならない。
意志もなく、周りを動かすことなど到底無理である。

ましてや大学を卒業して、ただ横並びに就職し、嫌なことがあったとか、
向いていないからと言って、「寿退社します。」では、女性の社会進出を
切り開いてくれた諸先輩方に失礼である。

専業主婦が良いとかキャリアウーマンが良いとか言っている訳ではなく、
選択肢がある女性だからこそ、選択したからには責任を果たしたい。
少なくとも結婚や出産を自分の逃げ道にせず、自分の選らんだ道として
それぞれの責任を全うしていきたい。

そして、当たり前に仕事を持つ女性が出産できる社会にしたい。

モンテネグロが88年ぶりに独立国家へ。

セルビア・モンテネグロからモンテネグロが離脱し、独立国家になった。

私の脳裏に浮かんだのは
「セルビア・モンテネグロというと、バスケットボールが強かったかな?
ナショナルチームはどうなってしまうのだろう?」ということくらい。
旧ユーゴ圏についての知識の無さに自分で自分にあきれつつ、
unison1につられて“米原万里さん”の著書を読みあさっている私には
考えさせられることの多いニュースであった。

日本という国は、民族や国土・国語・宗教などの感覚の乏しい国である。
そんな中で温々と育った私は国家の独立や分裂というニュースを聞いても、
理解できず、ましてや共感などはほど遠い感覚だ。
今回のニュースでもイメージしたのは映画『ターミナル』で、
自国を失ってエアターミナルに閉じこめられた男の哀れで
滑稽な姿くらいなものである。

ただ、国家や民族に対する意識の低さは私だけに限ったことではなく、
一般的な日本人に強い傾向だろう。

グローバルな社会において日本人がまず学ぶべきは、中途半端な外国語でも、
世界の知識でもなく、正しい自国への理解と正しい国語ではないだろうか。

ITによって、再び地球がフラットになりつつある時代の中で強く思う。
ユニゾンの書籍


『はじめての管理職100問100答』

(株)ユニゾン 堤幸政/河村亜紀 著

明日香出版社

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