自戒の意味を込めて、
先のメルマガ配信におけるエラーについて、あらためて考えてみようと思います。
今回の事態は、明らかに未然に防ぐことができたはずのものでした。
それがなにゆえに引き起こされてしまったのか。スタッフと話し合い、
私自身も内省する過程で、「納期遅れによる心理的圧迫」と「慣れによる油断」の
二つの原因がクローズアップされてきました。
すなわち、「時間がなかった」という物理的な条件下で、
通常は無作為に抽出した60件のデータを確認した後で本配信すべきところ、
約半分のデータを確認した時点で、
「いつも問題なく配信できているから今回も大丈夫だろう」と判断したことが、
今回の事態を生じさせてしまったとの結論に至りました。
長期であろうが短期であろうが、仕事には必ず納期があります。
それを考えれば、「時間がない」のはビジネスマンの常と言えるでしょう。
限られた時間の中で、いかにエラーをなくし成果を上げるか、
それが仕事であると言っても過言ではありません。そのために、
自分が担当する仕事に慣れ、業務に慣れることが必要になってくるのです。
本来「慣れる」ことは、”より上手に、より速く”仕事をこなすために不可欠です。
習熟の度合いが高まるに従って、自分の仕事のできばえが客観的に測れるようになったり、
仕事のリスクを予見できるようにもなるのです。慣れることによって
心にゆとりが生まれ、正確な判断や認識ができるようになるとも言えます。
反面、「慣れる」ことによって引き起こされるエラーがあります。
心のゆとりが”心のゆるみ”となって油断を招くケースです。
この場合、「この程度の仕事ならすぐできる」というような慢心や、
「いつも大丈夫だから今回も大丈夫」というような勝手な推測に基づく怠慢が、
事故や不祥事を引き起こす要因となってしまうのです。
この時の判断や認識は、至って身勝手で甘いものだと言わざるを得ません。
このように考えると、功罪相半ばする「慣れる」ということに対して、
どのように向き合うのかが重要となってきます。
慣れることによるエラーを防ぐため、詳細なマニュアルを整備している業務もあります。
生命の安全にかかわる業務では、エラーは絶対に許されないため、
マニュアルに従って業務の手続きや手順が厳正に管理されるのです。
しかし、明文化されたマニュアルがない、
あるいは、あったとしてもマニュアルをめくりながら仕事を進めるなど現実的でない。
そのような業務が大半であると思います。仮にそのような業務であったとしても、
上司や先輩の教えに従ったり、仕事を覚え慣れる過程で見つけた、
何らかの手順や作法に従って仕事を進めているはずです。
問題なのは、その手順や作法を何らか(魔が差したとか、忙しいとか)の理由で、
はしょってしまったり、手を抜いてしまったりするとがあることなのです。
似て非なる話かもしれませんが、
営業を始めて3年ほど経った頃、私は大事なお客様を失ったことがあります。
こだわりを持って開拓しようとしていた新規のお客様で、
それこそ”まめな”働きかけを怠りませんでした。
面談いただく度にお礼状をしたため、継続して色々なご提案をしていました。
やがて、親しく話を伺える関係づくりができ、
「次は堤さんから購入するよ」とまでおっしゃっていただけるようになったのです。
ところが、結局このお客様からは成約がいただけませんでした。
お客様をなじるような気分で、なぜご購入いただけなかったのかを尋ねると、
「ウチに通い始めた頃の”熱心な堤さん”からだったら買ったよ」との一言。
この出来事は今でも私の戒めとなっています。
一つ一つの手順や作法には意味がある。
仕事に慣れるに従い、そのことを忘れたり軽んじたりしてしまうことで
エラーが起こります。
”初心忘るべからず”。
自分の仕事を見つめ直すと、初めてその仕事に取り組んだ時に比べて、
随分と大胆になってはいないでしょうか?
先のメルマガ配信におけるエラーについて、あらためて考えてみようと思います。
今回の事態は、明らかに未然に防ぐことができたはずのものでした。
それがなにゆえに引き起こされてしまったのか。スタッフと話し合い、
私自身も内省する過程で、「納期遅れによる心理的圧迫」と「慣れによる油断」の
二つの原因がクローズアップされてきました。
すなわち、「時間がなかった」という物理的な条件下で、
通常は無作為に抽出した60件のデータを確認した後で本配信すべきところ、
約半分のデータを確認した時点で、
「いつも問題なく配信できているから今回も大丈夫だろう」と判断したことが、
今回の事態を生じさせてしまったとの結論に至りました。
長期であろうが短期であろうが、仕事には必ず納期があります。
それを考えれば、「時間がない」のはビジネスマンの常と言えるでしょう。
限られた時間の中で、いかにエラーをなくし成果を上げるか、
それが仕事であると言っても過言ではありません。そのために、
自分が担当する仕事に慣れ、業務に慣れることが必要になってくるのです。
本来「慣れる」ことは、”より上手に、より速く”仕事をこなすために不可欠です。
習熟の度合いが高まるに従って、自分の仕事のできばえが客観的に測れるようになったり、
仕事のリスクを予見できるようにもなるのです。慣れることによって
心にゆとりが生まれ、正確な判断や認識ができるようになるとも言えます。
反面、「慣れる」ことによって引き起こされるエラーがあります。
心のゆとりが”心のゆるみ”となって油断を招くケースです。
この場合、「この程度の仕事ならすぐできる」というような慢心や、
「いつも大丈夫だから今回も大丈夫」というような勝手な推測に基づく怠慢が、
事故や不祥事を引き起こす要因となってしまうのです。
この時の判断や認識は、至って身勝手で甘いものだと言わざるを得ません。
このように考えると、功罪相半ばする「慣れる」ということに対して、
どのように向き合うのかが重要となってきます。
慣れることによるエラーを防ぐため、詳細なマニュアルを整備している業務もあります。
生命の安全にかかわる業務では、エラーは絶対に許されないため、
マニュアルに従って業務の手続きや手順が厳正に管理されるのです。
しかし、明文化されたマニュアルがない、
あるいは、あったとしてもマニュアルをめくりながら仕事を進めるなど現実的でない。
そのような業務が大半であると思います。仮にそのような業務であったとしても、
上司や先輩の教えに従ったり、仕事を覚え慣れる過程で見つけた、
何らかの手順や作法に従って仕事を進めているはずです。
問題なのは、その手順や作法を何らか(魔が差したとか、忙しいとか)の理由で、
はしょってしまったり、手を抜いてしまったりするとがあることなのです。
似て非なる話かもしれませんが、
営業を始めて3年ほど経った頃、私は大事なお客様を失ったことがあります。
こだわりを持って開拓しようとしていた新規のお客様で、
それこそ”まめな”働きかけを怠りませんでした。
面談いただく度にお礼状をしたため、継続して色々なご提案をしていました。
やがて、親しく話を伺える関係づくりができ、
「次は堤さんから購入するよ」とまでおっしゃっていただけるようになったのです。
ところが、結局このお客様からは成約がいただけませんでした。
お客様をなじるような気分で、なぜご購入いただけなかったのかを尋ねると、
「ウチに通い始めた頃の”熱心な堤さん”からだったら買ったよ」との一言。
この出来事は今でも私の戒めとなっています。
一つ一つの手順や作法には意味がある。
仕事に慣れるに従い、そのことを忘れたり軽んじたりしてしまうことで
エラーが起こります。
”初心忘るべからず”。
自分の仕事を見つめ直すと、初めてその仕事に取り組んだ時に比べて、
随分と大胆になってはいないでしょうか?