ユニゾンのENSEMBlog

「人と組織のマネジメント」にユニークな価値を提供し続ける企業
「株式会社ユニゾン」
マネジメント研修を事業のドメインに据える
同社の社長とスタッフたち(ときどき)とで綴るブログです。
頻度はそこそこ、中身は真面目にがモットーです。

2006年02月

初心忘るべからず

自戒の意味を込めて、
先のメルマガ配信におけるエラーについて、あらためて考えてみようと思います。

今回の事態は、明らかに未然に防ぐことができたはずのものでした。
それがなにゆえに引き起こされてしまったのか。スタッフと話し合い、
私自身も内省する過程で、「納期遅れによる心理的圧迫」と「慣れによる油断」の
二つの原因がクローズアップされてきました。

すなわち、「時間がなかった」という物理的な条件下で、
通常は無作為に抽出した60件のデータを確認した後で本配信すべきところ、
約半分のデータを確認した時点で、
「いつも問題なく配信できているから今回も大丈夫だろう」と判断したことが、
今回の事態を生じさせてしまったとの結論に至りました。

長期であろうが短期であろうが、仕事には必ず納期があります。
それを考えれば、「時間がない」のはビジネスマンの常と言えるでしょう。

限られた時間の中で、いかにエラーをなくし成果を上げるか、
それが仕事であると言っても過言ではありません。そのために、
自分が担当する仕事に慣れ、業務に慣れることが必要になってくるのです。

本来「慣れる」ことは、”より上手に、より速く”仕事をこなすために不可欠です。
習熟の度合いが高まるに従って、自分の仕事のできばえが客観的に測れるようになったり、
仕事のリスクを予見できるようにもなるのです。慣れることによって
心にゆとりが生まれ、正確な判断や認識ができるようになるとも言えます。

反面、「慣れる」ことによって引き起こされるエラーがあります。
心のゆとりが”心のゆるみ”となって油断を招くケースです。

この場合、「この程度の仕事ならすぐできる」というような慢心や、
「いつも大丈夫だから今回も大丈夫」というような勝手な推測に基づく怠慢が、
事故や不祥事を引き起こす要因となってしまうのです。
この時の判断や認識は、至って身勝手で甘いものだと言わざるを得ません。

このように考えると、功罪相半ばする「慣れる」ということに対して、
どのように向き合うのかが重要となってきます。

慣れることによるエラーを防ぐため、詳細なマニュアルを整備している業務もあります。
生命の安全にかかわる業務では、エラーは絶対に許されないため、
マニュアルに従って業務の手続きや手順が厳正に管理されるのです。

しかし、明文化されたマニュアルがない、
あるいは、あったとしてもマニュアルをめくりながら仕事を進めるなど現実的でない。
そのような業務が大半であると思います。仮にそのような業務であったとしても、
上司や先輩の教えに従ったり、仕事を覚え慣れる過程で見つけた、
何らかの手順や作法に従って仕事を進めているはずです。

問題なのは、その手順や作法を何らか(魔が差したとか、忙しいとか)の理由で、
はしょってしまったり、手を抜いてしまったりするとがあることなのです。

似て非なる話かもしれませんが、
営業を始めて3年ほど経った頃、私は大事なお客様を失ったことがあります。
こだわりを持って開拓しようとしていた新規のお客様で、
それこそ”まめな”働きかけを怠りませんでした。

面談いただく度にお礼状をしたため、継続して色々なご提案をしていました。
やがて、親しく話を伺える関係づくりができ、
「次は堤さんから購入するよ」とまでおっしゃっていただけるようになったのです。

ところが、結局このお客様からは成約がいただけませんでした。
お客様をなじるような気分で、なぜご購入いただけなかったのかを尋ねると、
「ウチに通い始めた頃の”熱心な堤さん”からだったら買ったよ」との一言。
この出来事は今でも私の戒めとなっています。

一つ一つの手順や作法には意味がある。
仕事に慣れるに従い、そのことを忘れたり軽んじたりしてしまうことで
エラーが起こります。

”初心忘るべからず”。

自分の仕事を見つめ直すと、初めてその仕事に取り組んだ時に比べて、
随分と大胆になってはいないでしょうか?

実践研修の5原則

2/28 配信のメルマガ掲載記事「実践研修の5原則」の続き(メルマガ未掲載箇所)
をご紹介いたします。
研修事業に携わる者にとって、”実践的であること”は永遠のテーマかもしれません。

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1.3現主義をベースにしたわかりやすい指導

ここでいう3現主義とは「現在、現場、現象」のことである。対照語としては、
べき論、原理原則、観念論が考えられる。しっかりした指導をするには、
明確なべき論や原理原則が根底になくてはならない。

しかし、それらを生のまま打ち出したのでは「難しくてわからない」とか
「そんな綺麗事は通用しない」ということになってしまう。
現在の自分の仕事や問題、悩みに結びつけられて、初めて理解できるものである。

「うちの業界に精通した講師が欲しい」という要望をよく聞かされる。
勿論、それは望ましいことではある。
しかし、当事者である研修生以上に精通することは大変な難事である。

しかも、知り尽くすことには、かえって逆作用も出てくる。
「聞かなくてもわかっている、アーだろう、コーだろう」といった決めつけになり、
本人の個別事情に対する配慮が欠けることにもなりかねない。
あるいは、知り尽くすことによって、「どうせ言っても無理だろう」と言うような、
諦めが出て、鋭く追求しなくなることもある。

肝心なことは、研修生にとって3現主義で指導内容が絵になるか、である。
そのためには、研修生の皆さんから色々と訊き出し、
その状況に合わせた指導をすることである。

したがって、講師には少なくとも3つの事が要求される。質問力と状況の推理力、
そして、適切な質問ができるだけの業界の知識である。
なぜかしら、横文字を多用したり、難解な言葉をわざと使う研修も見られる。
権威づけの為であるとすると極めてまずい指導と言わざるをえない。

2.成果・業績に結びつける指導

研修にはそれぞれテーマと狙いがある。
したがって、指導内容もそのテーマに絞り込まれる。
例えば、リーダーシップ研修と言えば、内容は当然リーダーシップ論になる。
商談折衝力向上研修となると、ロールプレイング等で指導することになる。

このこと自体は、当然であり、大切なことである。
しかし、充分気をつけないと大変な落し穴に入ることもある。
つまり、研修テーマにのめり込んで、最終目的を見失ってしまうことである。

人材育成の最終目的は、より良い成果が出せるようにすることである。
ビジネスの世界では、育成できたか否かの測定はそれ以外に考えられないのである。

ところが、リーダーシップ強化の研修を例にとると、
リーダーシップの「論」に重点がおかれていつの間にか教養講座になってしまう。
あるいは人間心理の側面が強調されて、成果を求めるリーダーではなく、
人間関係重視のリーダーづくりになってしまう。

指導内容を最終成果にいかに結びつけるか、ということを絶えず念頭においていなければ、
ついついこのような落し穴に入ってしまうことになりかねないのである。

3.負荷をかけ責任意識を高める指導

一般的な研修では自己否定、現状否定が強調され、
どうあるべきかのべき論が説かれるケースも少なくない。

しかし、これだけでは単なる心構えの研修になりかねない。
したがって、学習内容を成果に結びつけるためには、
自分自身は「何をしなければならないか」を明確にする必要がある。
それも抽象的、観念的なテーマではなく、
具体的、成果的な課題が望ましいのは言うまでもない。

人間のやる気の源泉は様々であるが、そのうちでも責任感や使命感は、
特に重要な源泉のひとつである。
感動的な話しや教訓で責任感を高めることも当然ありえるが、
それだけでは意識が薄れていくのも早いものである。

自分自身に、「これをやり遂げなければ」という負荷を設定すれば、
責任意識も具体的な形で植えつけられてくる。

4.具体的なコーチングに重点をおいた個別指導

やるべきことが明確になれば、必然的に「どのようにすればよいか」が、問題になる。
極めて具体的なハウツウになるわけである。この点が曖昧だと現場での実践は危うくなる。
具体的なコーチングというのは、講師の方から一方的にやり方を教えるというわけではない。
むしろ、そういうやり方は好ましくない(研修生の皆さんはそれを望むが…)。

最初から手取り足取り、ああしなさい、こうしなさい、と指導したのでは、
依存心が高まり、自分の頭で考えようとしなくなる。
事実、上から指示されたことだけをやればよい、
あるいはルーチン作業だけをこなしておけばよい、といったことを長年経験してきた人は、
自分の頭で考えるということが中々できなくなっている。

さらに、一方的にコーチングをしたのでは、果たしてその本人の能力レベルや
状況にマッチしているかどうかが見えなくなってしまう。
うまくいかなかった場合の責任も自分が悪いのではない、ということになりかねない。

そこで、とにかく自分なりにどうすればよいかを考えていただく。
内容の善し悪しは二の次である。考えて出て来た内容を一緒になって考える。
まずい点があれば修正し、抽象的であれば具体的にアドバイスをしてあげる。
そして、自分なりに、自分の手でやり方をまとめた、という結論に導くわけである。
 
そのためには、個別指導が不可欠となる。
ユニゾンの実践研修が少人数でお願いしている所以である。

5.実践化をしかけ定着に重点をおく指導

研修指導で最も難しいことは、成果の測定と指導内容の定着である。
成果が出てきたと言っても、「研修のお陰で…」と言える部分を測定することは
困難である(逆に、成果が出ない場合は研修のせいにされることはあるが…)。

しかし、定着の方は大体観察することによって判断はできる。
ところが、教室を去り現場に帰ると、いつの間にか現場の忙しさの中に埋没してしまう。

研修後は個々人の自主性に任せて、と言えるほど、普通の人間は強くない。
実践研修でフォローアップが是非必要なのは、このためである。
社内体制が整って、実践化をしかけ、促進してくれる責任者が居れば、
社内でフォローは充分できるだろう。
しかし、そのような体制がない場合は2回、3回と、やや期間をおいて、
フォローの為の研修を行うことが必要となる。

社員研修には様々な目的がある。すべてが実践研修である必要もなかろう。
要は目的に合った研修を上手く推進し、その目的を実現すればよいことである。
しかし、「実践」と銘を打つ以上は、上述のようなことを満たしていく努力が必要である。
肝に銘じて……。

勝負して勝つ

今夜は、比較的早くに仕事を切り上げました。
帰宅してテレビをつけると案の定、フィギュアスケート女子の
荒川静香さんが金メダルを獲得したニュースでもちきり。
      
その中で、小泉総理大臣が荒川さんに祝福の電話をかけているという、
およそメディアでしか成り立たないツーショットが紹介されていました。

このお二人、他人から見ればまさしく”人生の勝ち組”でしょう。
ご本人たちがどう思っているかはともかく、勝負強い人であるには違いない。

私は週末の美酒に酔いながら、二人に共通する”勝負強さ”について考えていました。

なんでもフィギュアスケートの採点ルールでは、
選手が疲れてくる後半の演技ポイントは前半の1.1倍になるとのこと。
同じ演技でも後半に持ってくることで、より高い得点が得られるそうです。

今回の荒川さんの演技は、
後半に大技を持ってくる、攻めの演技だったと解説者が喋っていました。

小泉さんにしても、勝負所での”攻め”の姿勢を強く感じます。
勝負に勝つには、やはり攻めなければならないのかもしれません。

もう一つ二人に共通するのは、
その道一筋の歴史を持っていることではないでしょうか。

荒川さんは 5歳からフィギュアスケートを始め、
小泉さんは政治家の祖父・父を持つ家に生まれて、
27歳で政界に身を投じています。

一筋の歴史には、苦難の時も多くあったに違いありません。
私など凡人は、”一筋に続けられる強さ”に驚嘆し憧れを抱きます。

攻める気持ちと、その裏付けとなる一筋の歴史。
勝負して勝つには、少なくともこの二つの要素が必要なようです。
(unison1)

続きを読む

愚痴ります

営業という仕事の面白さは、
多くの人との出会いがあることに尽きると思う。
お酒の場をご一緒させていただけることも多々ある。

業種や職種、立場や年齢も様々な方から、
人生の話やお仕事の話を聞けるのはとても勉強になる。

同時に、お酒が入ると、仕事の愚痴を聞く機会も多い。
組織がどうだの、部下がどうだの、商品がどうだの…。

私はお話を一通り伺って図々しくも、言ってみることがある。
「それはひどいですね。ダメな会社ですね。」
そう、わざと“こき下ろして”みるのだ。

そうすると一転、
「いやそうは言ってもね。。こんな歴史があって、あんな技術があって、
経営者はすばらしい人間で…」
と、愛社精神たっぷりに、どんなにすばらしい会社かを教えてくれる。

愚痴が出るというのは、それだけ組織に真剣に向き合っていることの
現れであることが多い。

会社組織において、会社を愛する社員の飲み屋での愚痴は宝だ。
組織内では正面切って口にできないから、新橋や赤坂で愚痴となる。

それが活かされていないとしたら、本当にもったいない。

忙中閑あり

まずは、この度のメールマガジン配信における当社の不調法に関して、
この場を借りて重ねてお詫びを申し上げます。

企業の社会的責任や法令遵守の姿勢があらためて問われている現代において、
人一倍注意を払わなければならないと心がけていた”つもり”でいました。

しかし、かりそめにも企業の人材教育を生業としている会社にあるまじき事態。
経営者として、手抜かりや油断があったと断じざるを得ません。
猛省をするとともに、再発防止に全力を挙げて取り組んで参ります。
本当に申し訳ございませんでした。

さて、お客様へのお詫びとご報告に追われたこの二日間。
今さらながら、当然のことに気がつきました。

それは、人によって物事の捉え方や感じ方はまるで違うということ。
今回の出来事に対して、お問い合わせ、お怒り、お叱り、ご心配、激励・・・
と実に様々な反応を頂戴いたしました。

お客様の当社に対する関心の度合いや、
好悪の感情が影響を及ぼしていることはあるでしょう。

それでも、同じ組織に属する方から正反対のご意見をいただくにつけ、
お一方お一方の個性と向き合うことが、いかに難しいかを痛感しました。

そして、既製品の時代は確実に過ぎ去っていること、
ますます「個」に重きが置かれる時代が来るであろうということに、
図らずも気づかされました。ビジネスも然り、なのでしょう。
(unison1)

昨日と今日の気持ち

【unison2】

昨日のメールマガジン配信では、多くのお客様に大変ご迷惑を
お掛けしてしまった。

社内は問題無く配信されていたので、気づかなかったが、
近しい社外の方からのご連絡で発覚した。

メールマガジンを配信し始めて、半年。
購読数も徐々に増え、いろいろご意見もいただけるように
なってきた記念すべきVol.10での失態。

背筋も凍る思いで顔面蒼白になりながらも、事態の把握と
対応を急いだ。

結局、一部のお名前と28件のメールアドレスの誤配信と
いうことが分かった。

まずは他者のメールアドレスをお送りしてしまった方々へ
早急な削除の依頼を電話でかけ続けた。
並行して、皆様に状況をご連絡しなければと、ホームページや
このブログにも、状況の掲載を急いだ。

バタバタと頭や手を動かし、皆様からのご質問に答えながら、
私は(ユニゾンは)皆様に生かされているんだということを再認識した。

お叱りやメールマガジン停止のご連絡が有る中、
一番多かったのは、「(弊社からの情報削除の依頼に応えて頂き)
メールマガジンを削除したので、再送してほしい」というご依頼だった。

本当に涙が出る思いとはこのこと。
今日も、各所から「こちらのことはいいから、がんばってね」などと
励ましをいただくことも多数。

もちろん、このような方々を裏切ることなく、以後、再発防止に
より一層取り組んでいくことや、反省、今回の件について
お詫びの気持ちを忘れることはない。

本当に申し訳ないという、心よりのお詫びの気持ちでいっぱいだ。

ただ、同時に温かく支えてくださった方々の、大きな心と優しい言葉を
一生忘れることもないだろう。

メールマガジンをご購読いただいている皆様。
本当にご迷惑をお掛けし、申し訳ございませんでした。
そしてありがとうございました。
今後も何卒ご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

【ユニゾンTOPICS】宛名間違いのお詫びとご報告

メールマガジンをご購読いただいている皆様へ

平素は、弊社メールマガジン【ユニゾンTOPICS】ご購読いただき、
誠にありがとうございます。

本日発行のメールマガジン「【ユニゾンTOPICS】Vol.10(2006年2月20日)」
の一部に、弊社の手違いにより、お名前を間違えた状態で配信してしまうと
いう事態が発生しました。

ご迷惑をお掛けしましたことを衷心より陳謝いたします。

原因と流出情報、対応について、下記の通りご報告申し上げます。

|【原因】

| 弊社メールマガジンの配信は、配信システムを利用して法人名・
| 氏名データを自動挿入しております。
| その際に誤った氏名データが混入してしまい、一部お客様には
| 宛名違いのお名前で配信されてしまいました。
| 
|【流出情報】
| 
| ・個人氏名
|  ※法人名およびメールアドレス等と関連づく状態ではございません。
| 
| ・メールアドレス(28件)

|【対応】
| 
| 氏名のデータにメールアドレスをご登録いただいたお客様(28名様)に
| に関しましては、個別の確認の上、データの削除確認が完了しました。
| 


以上、ご報告を申し上げます。

お名前違いのメールを受け取った方に関しては、お手数ではございますが、破棄
をお願い申し上げます。

お手数をお掛けしますことを重ねてお詫び申し上げます。

以後、こういった事態が発生しないよう、再発防止に全力をあげて取り組む所存
でございますので、引き続きご支援を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

              株式会社ユニゾン 事業推進グループ 河村亜紀 

システム障害による、メールマガジン拝送時の手違いについて

メールマガジンご購読者様 各位

平素は大変お世話になっております。
本日私どもより、拝送させていただきましたメールマガジンの
お名前に手違いが発生いたしました。

ご迷惑をおかけし、大変申し訳ございません。
まずはこの場にて、陳謝させていただきます。

ただいま早急に原因究明と対応を進めております。
解明次第、改めてご報告をさせていただきます。

また、間違いのご連絡をいただきました皆様、
誠にありがとうございました。

以後、細心の注意を払いメールマガジンの発行を行わせていただきますので、
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

株式会社ユニゾン 河村亜紀 拝

じゃによって、たまさか

営業マンは弁が立つ方が良いのか?これには賛否があると思います。

学生の頃、
「つっちゃん(私のあだ名です)は口が達者だから、絶対営業に向いているよ」
と友人に言われたことがあります。
果たして、私は営業という仕事に就いてそれなりの経験を積みました。

その中で、口が達者であることが営業マンにとって必要な能力であると
感じたことは一度もありません。むしろ、"口は災いの元"であることが多い。
余計なことをしゃべって大事な受注を逃してしまったり、
お客様の感情を害してしまうようなことが多々あったのです。

だからといって、営業マンに弁が立つ能力は不要とするのは極論になってしまいます。
乱暴な表現をすれば、営業の仕事は"モノを売ること"に尽きます。
広告を見たお客様がホイホイお金を持ってきて下さる商売でもあれば別の話。
そうでない場合は、人を介在させなければお金をいただけない。
それゆえに営業マンが存在するのです。

そして、当の営業マンはお客様の目を見ただけで説得できる超能力でも持たない限り、
説明をしたりデモをしたり、質問に答えたりしながら、口と身体を使って
お客様に納得してもらうための説得を試みるわけです。
(もちろん、説得するために最も使わなければならないのは「頭」です)

少々、持って回った表現になってしまいました。
そもそも、”口が達者である”ことと”弁が立つ”ことは
別物であると定義した方が良さそうです。

そこで、弁が立つことを限定的に”お客様を説得することができる力
(以下、説得力)を持つ”こととします。
その意味において、営業マンは弁が立つ方が良いと言えるでしょう。

では、どのようにしたら”説得力”は鍛えられるのでしょうか。
残念ながら、一朝一夕で身に付く能力でないことは周知の事実です。

例えば、伝えたいという情熱をどのように持てばいいのか、
伝えるべき本質をどのように掴めばいいのか、
お客様にわかりやすいロジックをどのように展開すればいいのか、
お客様の本音をどのように引き出せばいいのか・・・。
ハウツーを挙げ連ねていくだけでも、多くの営業研修のテーマができそうなほどです。

”説得力”を身につける道は遠く険しい。まずはそのことを知る必要があるでしょう。
その上で、一つ心がけるべきことがあるとするならば、
声や表情、話すスピードや言い回し、ジェスチャーや言葉のやりとりの「間」など、
自分でコントロールできる所作の一つ一つを、仇や疎かにしてはならないということです。

自分で考え工夫を重ねていくのはもちろんのこと、
”説得力”ある人の所作を真似ることも肝要です。
手前味噌な話になってしまいますが、
私は尊敬する先輩や上司が利用する言い回しや身振りを積極的に真似ようとしました。

卑近なところでは、「持って回った言い方をすると・・・」、
「似て非なる話・・・」、「僭越ながら・・・」など、
私が好んで使用するクッション言葉の大半は先達から取り入れたものです。

さて、先日同行していた営業マンが
「先ほど、たまさか別のお客様で同じ話を伺ったのですが・・・」
とお客様に話し始めました。(”たまさか”は「たまたま、偶然」ほどの意味)
さらに商談の様子を観察していると、
「経営トップが・・・」と話す時に自分の親指を立てている。

いずれも私がよく使う言い回しや身振りで、本を正せば尊敬する元上司のコピーです。
隣に座っていて内心ニンマリとしながら、
くだんの元上司が幾度となく話していた言葉を思い出していました。
「じゃによって、営業マンの一挙手一投足には全て意味があるんだよ」。

しゃべり続けて迷惑です。

私は社内でよくしゃべっている。
相手がほとんど聞いていなくてもしゃべる。

周りの人はいい迷惑。
仕事の手を止めて、何かの質問かと回答を探しながら聞いてもらっても、
相手にしゃべっているうちに自分で勝手に納得して終了。

「なんだお前は?!」となる。

近しい、私をよく知っている人間は、またかと言った具合。
(こう書くとバカみたいで嫌なんですが…)

通常、「言葉」は人に何か伝える為の道具。
言葉を人に向かって発するというのは、相手に何かを伝えている行為。

でもこの私のしゃべっている(言葉を発している)状態は、
自分の意見・考え・理解を消化する作業。
この場合、相手に何かを伝えたいからではないのだ。

特に全く新しいことを始める時や、理解し難い情報が入ったときによく行う。

人間は赤ん坊の時、不快を泣いて親に訴える。
成長し、おなかが減った、悲しい、苦しい、痛い、淋しいと、どう不快かを
言葉で表現出来た時、解決する方法が明確になる。

はたまた太古の人間は、頭上に広がる青く無限な空間を空と名付けた。
その時にそれは空だと認識され、海や土地との境ができた(はず)。

言葉にすることは定義すること。

人の意見を聞いた時、本を読んだ時、新しいものを見た時、感じたとったことを、
何度も言い換えながら表現してみる。
そうするといつしか、その情報が自分のものとなり、理解することができる。

だから、私はなんとなく頭にある訳のわからない自分の感覚の切れ端を、
いろんな言葉で誰かに表現し、しっくりくる単語とその並び方になるまで、
繰り返す。

ということで、私の周りの皆様。
いつもうるさくってごめんなさい。

組織文化(風土)の改革<その2>

ユニゾンTOPICS Vol.10掲載記事「温故知新:組織文化(風土)の改革<その2>」の
全文を掲載いたします。

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風土革新を論じる前に、もう少し組織風土の正体について考えてみたい。
組織風土とは、文字通り「風」である(社風、家風、校風と言われるように)。
「風」という言葉には、「教え、導き、教化」という意味がある。
つまり教えられ、感化された事が、いつのまにか慣習化して定着した状態を、
風土と言っているようである。
個人で例えれば、過去から学習して身についた意識、思考、行動のクセのようなものである。

組織風土の場合、教化したり感化したりする源になるものとして、
次のようなことが考えられる。

1.メンバーの過去の共通体験
  社員の多くが自衛隊出身という企業がある。
  指示、命令には非常に忠実という風土を持っている。

2.仕事の特性
  生産ラインと営業、ルート営業と新規開拓営業等、
  同じ企業内でもかなり異なった風土ができる場合がある。

3.トップのリーダーシップ
  超ワンマンであるとか、逆にサラリーマン社長が、
  コロコロ入れ替わる場合の影響は強い。

4.組織の生いたち
  合併とか前の会社の仲間達だけで創った組織等で、特定の風土ができあがる。

5.教 育
  教育の行き届いた組織は風土も良い。
  国の教育水準の高低が文化差を決めるようなものである。

6.組織内の制度やシステム
  人事考課制度、ローテーション、管理システム等のあり方は、
  風土に強い影響を与える。

7.外部環境からの影響
  業界の慣例、競争の激化、地域の生活様式等も風土に関係をもつ。

8.状況の突然の大変化
  トップの急逝、震災、倒産の危機等は、急激な精神的混乱を起こし、
  メンバーの心理に強いインパクトを与える。   

9.持続的な儀式、儀礼
  特に宗教団体のような組織で行われるおごそかな儀式は、
  そこ独特の文化をつくりあげるのに効果的である。

以上のように見てくると、風土革新のためには、いくつかの要点が浮びあがってくる。

これらのことを踏まえながら従来行われている風土改革のやり方を整理すると、
大体次のようになる。

1.制度的アプローチ
  組織機構の見直し、諸制度の改廃、全社会議等の開催
2.戦略的アプローチ
  新規事業、新規ルートの開拓、新商品の開発等
3.人事的アプローチ
  新規採用、評価基準の見直しや昇降格、ジョブ・ローテーション
4.運動体的アプローチ
  ビジョンづくり、○○運動、キャンペーン等
5.OJT的アプローチ
  日常の仕事を通じての指導、日常のリーダーの言動が大切
6.教育的アプローチ
  教育の繰り返しが重要
7.モデルづくりアプローチ
  一点突破全面展開の要領で、成功例をまずつくりあげる
8.儀式や共通言語づくりアプローチ
  意義や考え方からではなく、まず形から入る

これらのやり方は、単発で実施されることはまずない。
複数の方法を同時的に 採用して、推進する必要がある。
その場合、次の3つのことを少なくとも留意しておくことが重要である。

1.トップ自身がまず肚を据えて、改革の決意を固める

2.推進母体は、上下左右に影響力を持ったメンバーにすること。
  一般企業の場合は、課長または係長クラスである。
  ロジャースのイノベーション理論によると、
  流行(ファッション)は次のような段階で浸透するという。

革新者(3.5%) → 初期採用者(12.5%) →前期採用者(34%)→後期
採用者(34%) → 遅滞採用者(16%)

流行の鍵を握るのが初期採用者で、周囲に対する影響力を持っているという。
組織風土の改革にも参考になる考え方である。

3.辛抱強く、あきらめないで続けることが不可欠である。
  人間で言えば、無意識の中に刷り込まれるぐらいにならないと、
  習慣化はしないものである。少し変わったと思って手を抜くと、
  すぐ元に戻ってしまうものである。

時は優し

今は某社の社長をなさっているKさん。
前職の元役員で私を採用してくださった方です。

Kさんは、強力なリーダーシップを発揮される方で、
非難の矛先を向けられることが少なからずありました。

私のような末端の部下が云々できることではないものの、
疑問に感じることもあったのです。
もちろん、当時はご本人に尋ねることなどできません。

そして10年近くの時が経ち、Kさんも私も立場が変わって、
最近やっと、親しくお話を伺えるようになりました。

今夜もお話を伺う機会があり、私はここぞとばかりに
「あの時はどうして××されたのですか?」などと尋ねてみました。

なるほど、人との関わりは一時に限ってしまうのはもったいない。
時間をかけてこそわかること、気づくことがたくさんある。
そんな当たり前のことに気づいた貴重な夜。
Kさん、本当にありがとうございました。
(unison1)

今日は何の日

【unison2】

「バレンタインデーにチョコレートを渡す習慣なんてなくなればいい」
と考える企業に勤める女性が70%に上るとのこと。
20代〜30代の独身男女300名を対象にした調査での結果らしい。
男性はというと50%が「ない方がいい」らしい。

私の感覚は…
1年365日を単調に過ごすよりは、いろいろな“特別な日”が増える方が楽しい。
四季折々の昔からの日本の文化+α。

おみやげとかお歳暮とかお年玉とか…きっとそれらもバレンタインデーも、
社会の中でお互いが気持ちよく過ごしていくために編み出した潤滑油であろう。

バレンタインデーは、それらの中でもかなり手軽な一つ。
だから私は相手がお返しを考えなくてもいいレベルでの“気持ち”を
お渡しすることにしている。

それが義理チョコなんて、淋しいことは言わないでほしい。
義理チョコって表現はなんだか義務感が漂う。

「明日はバレンタインデーだな。
○○さんの会社に訪問するから、チョコを用意していこう!」
なんて、チョコを選んだり、メッセージを書いたり。
お返しがいらないよう、少量に小分けにしよう!なんてことも。
そんな相手を考えて用意する時間に意味があるのだ。

これが私のバレンタインデーの楽しみ方。
言い換えれば、日常を特別な日にする方とでもいいましょうか・・・。

論文の書き方

f0f8ae68.jpg     ブログを始めてからと言うもの
     「今日は何も書けない・・・」と
     頭を抱え込むことがしばしばあります。

     最近では、書けない苦しみは作家並み
     などと思い上がっている始末。
     そんな窮状(?)を見かねてか、
     恩師が薦めてくれたのがこの本、
     「論文の書き方」(清水幾太郎著)です。

新書で 209ページと、決してボリュームのある本ではありません。
にもかかわらず、文章を創る心構えやテクニックが満載なので、
行きつ戻りつしながら確認し、時間をかけて読み進めました。

特に勉強になったのが、接続助詞「が」の使用に関するくだり。
著者は「が」の使用には警戒が必要であると説きます。

私が書く文章にも「が」が多い。
前回投稿の「介子推」に端的な使用例があります。
(unison2のお陰で一週間ぶりの投稿なんですね)

『色々な方に「いいよぉ、宮城谷!」と薦めているのです
 なかなかファンが増えません。』

自分でも気になっていたものの、置換できずにいたのです。
今日の投稿は、本書に習って「が」を他の言葉に置換しています。
我ながら文章にリズムが出てきたような・・・

ちなみに、この本は50年近く前に書かれたものです。
日本語の変遷を知る上でも、とても参考になりました。
当時流行していた言葉に「土性骨」があるそうです。
これ読めます?(「乃至」という漢字もよく出てきました・・・)

もし男性も妊娠したら!?

【unison2】

女性が仕事を仕事を持つことが普通のことの様にいわれている。
普通の様に。

しかし現実では、仕事をするが故に出産をあきらめたり、
出産の為に退職したりパートタイムに切り替えたりせざるを得ない女性が多い。
子育てをしながら働けている人は、両親と同居や非常に近所ということが多い。

田舎から出てきて東京で働いている夫婦では、
どうしても女性が仕事をあきらめるしかないと思う。

子どもを産む女性が産休をとるし、父親から母乳は出ない。
故に、役割分担が男性は中心となって外で働き、
女性が家のことを担当するのは理にかなっている。

現在、産休・育児休暇が定着した企業も増えたし、
出産後の配置換え禁止などの法的なバックアップが整備されてきた。

それでも人間同士ガチンコで日々取り組んでいる仕事の場で、
ルールが有るからといっても、権利があるからといっても、
自分の仕事を一時的に人に頼んで休み「戻ってきたらまたやります」とか、
忙しい時期に「子どもを迎えに行く時間なので」とか、なかなか言えないだろう。

団塊の世代が定年退職をし、労働者人口が少なくなる時代に、
女性の労働力を有効活用しない手はないと思う。
ただそうなると更に少子化は加速してしまうだろう。

私も子どもを産むことによって、自分で収入をえられなくなることが不安だ。
まだ結婚もしていないし、ましてや出産もしていないが。

子どもを産み、本来収入は増さなければならない状況で、収入が途絶える。
もちろんその為に、父親となる人間が収入を得ればいいのだが、
もしもの時を考えると不安だ。
自分だけが出産の為にキャリアを中断することに不安を覚える。

今日、子育てをしながらパートタイムで働く女性がおもしろいことを言っていた。
「男女どちらも子どもができて、子どもができるまで、
どちらにできるか分からなければいいのに」と。

有り得ないことではあるが、もしそうだったら社会はどうなっていたのか?
と考えると非常に興味深い一言だ。

少なくとももう少し社会全体で子育てをし、
もう少し子育てをしながら働くことに寛容であろう。

“たられば”で話しをしても仕方ないが、男性も子どもを産む立場になって、
社会全体の仕組みをつくる必要があると思う。

少子化や労働力確保などなどの問題についての根本解決は
そのあたりにあるのではなかろうか?

主婦がダメだということではない。
主婦もいい。主夫もいい。共働きもいい。
それぞれ選択肢があることが必要なのだ。

仕事をし続ける為に子どもをあきらめる女性や、
出産の為にキャリアをあきらめる女性がいない社会の受け皿を
作らなければならない。

仕事をする理由

【unison2】

今日は前職での上司や先輩方と集うことができた。
私は下戸でお酒は全くダメだけれども、こういう場が大好きだ。

現在はそれぞれのステージで、それぞれのやり方で輝いている方々。

お酒を飲む人、飲めない人関係なく、それぞれ好きなものを食べ、
いくつかの会話の輪ができたり、全体が一つになったり…。

仕事の話もプライベートの話も次から次へと、話題は絶えない。

一度同じ目標を持って、仕事をした人間というのは、
本当に心地のよい一体感がある。

ふと今日の集まりで、一つの答えを見つけました。
(見つけたというよりは、ぼんやりと感じていたところを、
ブログに書き留めておこうというところではあるが。)

私はなぜ仕事をしているのか?

それは、仕事を通じて共通の目標を目指し、
時には怒られ、時には一緒に悩み、苦しんだり喜んだりする仲間を
得ることができるから。

上司と部下や同じチームなどで仕事をする仲間と言うのは、
尊重・尊敬の念を抱け、また本気でぶつかれる良い緊張感と結束感を
感じることができる。

日々の中では当たり前のことだが、、少し距離を置くと強く感じることができる。

これからも、そういった人たちをたくさん増やせる仕事をしていきたい。

成長とは何ですか?

【unison2】

学生時代は学年を重ね、卒業することで成長感を持つことができた。

しかし、社会に出てからは、成長感を自分で実感することが難しい。
それなのに、成長感が持てなければ、一人取り残されているような気になって、
不安になる。

「あなたにとって“成長”ってなんでしょう?」
今日お話をさせていただいた方に、こんな質問を頂いた。

私は私なりに自分の使っている“成長”という定義を考えてみた。

現在の自己の課題をクリアし、次の課題を設定して、またクリアする。
それにより、大きく描く“なりたい・ありたい自分”に近づいて行く。

それが成長。…ではないのか?

でも、自分で言っておきながら、今の課題も何をクリアしてきたのかもわからない。
もちろん大きく描く最終形の自分の姿も明確ではない。

確かに成長の感覚がないはずだ。お恥ずかしい限り。
(私が成長していないのだとの意見もあるが…)

今日お話させていただいた方曰く、“成長”とは“変化”では?とのこと。
もちろん、悪い方に向かう変化ではないので、周囲からも評価されるような変化。

これから、昨日の私と今日の私、何が変わったかを日々考えてみることにする。
去年の私と今の私、先月と今月も考えてみようと思う。

成長という言葉を安易に使っていた気がする。
成長という大きなくくりでごまかして安心していたような。

皆様にとって成長とはなんですか?
また、成長とはなんという言葉に置き換えられますか?

初めまして。unison2です。

e05488d1.jpg

皆様、初めまして。unison2こと、河村亜紀と申します。
ユニゾンの営業を担当しております。
お客様のお話を伺い、問題を解決したり、
共に成功したりできればと日々取り組んでおります。

まだ若手を名乗ってよい年齢だと思いますが、
よく見た目は実年齢+10と言われます。

写真ではよくわからないと思いますのが、
直接会えば納得と言うところだと思います。
(もし、ご興味あればご一報ください。)



さて、社長の怠慢か新しい取り組みか…どちらか答えはでませんが、
私もブログに投稿することとなりましたので、まずはご挨拶ということで、
本日はお許しください。

今後は、私の日常から疑問や感じたこと等々、肩肘張らずに
(たまにはかしこまって)掲載して参りたいと思っております。

まだまだ勉強中の身でございますので、
間違いや未熟な意見などもあるかと思いますが、
どしどしとつっこみや反対意見などをいただければ幸いです。

介子推

96d096c0.jpg
この本の著者、宮城谷昌光さんは
私が好きな作家の一人です。

恩師に薦められて読み出したのがきっかけで、
彼が描く中国歴史小説の世界にはまっています。

以来私も、色々な方に「いいよぉ、宮城谷!」と
薦めているのですが、なかなかファンが増えません。

一般的になじみが薄い中国の歴史を扱っている、登場人物が多い、
しかも漢字だらけというのがとっつきにくい理由かもしれません。

中国史アレルギーのある方にも、比較的取っつきやすいと思われる
孟嘗君」と「奇貨居くべし」がお薦めです。是非、読んでみて下さい。

私が彼の作品に惹かれる理由は、彼の描く中国歴史上の人物に
「東洋的な人間臭さ」と「浪漫」に共感するからです。

この「介子推」も、後世「神」と崇められる主人公が
”己の欲”と”かくありたいと願う己の姿”との間で葛藤し、
成長する過程を描いた小説で、”私心淡泊”であることが
いかに難しく、そして尊いことかを考えさせられます。

単純にビジネスの世界に置き換えることはナンセンスでしょうが、
他人からの評価を上げることに没頭する人間をあさましく感じるのは、
東洋人独特のメンタリティなのかもしれません。(unison1)

ユニゾンYKKのブログ

突然ですが、
来週からブログのタイトルを変更しようと考えています。

ちょっと読みたくなるビジネスブログを目指して、昨年9月に開設したこのブログ。
おかげさまで、徐々に来訪いただける方も増えてきています。

ただブログの性格上、どうしてもパーソナル色が強くなってしまう。
(もちろん、その点が良いところでもあるわけですが)
会社として立ち上げたブログを、独りよがりの場にはしたくない。

「もっと多くの皆様に読んでいただくにはどうしたら良いか?」

最近は社内で協力してくれるスタッフもちらほら出てきて、
色々とアイデアをぶつけてくれます。

先日とうとう(?)「いっそのこと『共作』にしたらどうだろう」と
言い出してくれたのが、二人の「K」さん。「幸政」と二人の「K」さん。
それで「YKK」です。

”しめしめ、これで投稿の苦しみから少しは解放される”
などとは思ってはいません(少しはあるかな・・・)。

それぞれの目を通して日常のビジネス現場をお伝えすることで、
「ユニゾンの今」をよりリアルに伝えるられるのでは?

ユニゾンというコミュニティの様子を公開することで、
皆さんの職場でも発生する「人がらみ」の課題解決のヒントにもなるのでは?

そんな期待を抱いて、このブログを活用するトライを始めてみようと思います。

まずは来週、「unison2」のKさんが登場する予定です。

では皆さん、良い週末を!

プロフェッショナル

ホームページに講師の顔写真を掲載する予定です。
今日はその撮影の日。

昨年、ホームページリニューアルの際に撮影をお願いした、
プロカメラマンの前川さんに、今回も撮影を依頼しました。

にわかモデルの講師陣は、ひどく落ち着かない様子。

300563f2.bmp
「はい、少し笑ってくださーい」

「あ、その表情いいですよ」

「いいですねぇ。もう少し撮りましょうか!」

巧みに緊張をほぐしていく前川さん。
その横で、必死に笑いをこらえる外野陣。


そんな調子でしたが、さすがはプロのカメラマン。
撮影した写真を見せてもらうと、どれも被写体以上に良く撮れている。
(中にはショックを受けている講師もいましたが)

55f4cb31.bmp撮影が終わって、カメラマンという仕事について伺ってみると、

「とにかく写真が好きでこの仕事をしているけれども、常に
 良い写真を撮ることを期待される辛さはある」そうです。

「環境が整わない状況下でも、結果を出さなければならない」
 とおっしゃっていました。

どんな仕事でも、様々な制限の中でベストな結果を出す。
それがプロの仕事なのでしょう。

前川さん、ありがとうございました。

アルファブロガー

多くの読者に読まれ、社会的に影響力を持つブログを書く人のことを、
「アルファブロガー」と呼ぶそうです(1/30付け日経新聞夕刊に掲載)。

運営者が”時の人”であるわけではない(たぶん)のに、
月に100万以上のアクセスが集まるブログもあるとか。

どうしたらそんなにアクセスが集まるのか?秘訣があるなら、
私も是非取り入れてみたい。

そう思って、新聞で紹介されていたブログをいくつか覗いてみました。
感じたところを大ざっぱに並べてみます。

・情報がメジャーになりきっていないこと

・読みやすいページで文字が多くないこと

・写真やイラストが多いこと

・取り上げた内容に対して一般的な意見は述べないこと

・読者が記事を読んで何らかのアクションを起こしたくなること
  
特に、ここがポイントなのでは?と思ったのが最後の
「読者が何らかのアクションを起こしたくなる」点です。

例えば、
紹介されていた本が読みたくなるとか、
記事で紹介されていた内容をもっと調べたくなるとか、
この情報を誰かに話したくなるとか・・・。

大げさに言ってしまえば、多くの人に読まれるブログは、
「人を動かす」工夫がなされている。そんな印象でした。

「ユニゾン 堤のブログ」も工夫の余地がたくさんありそうです。
来週から、その工夫を始めてみようと思っています。乞う!ご期待です。

ユニゾンの書籍


『はじめての管理職100問100答』

(株)ユニゾン 堤幸政/河村亜紀 著

明日香出版社

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